小林完吾
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小林完吾(こばやし・かんご、1932年4月27日 - )とは、元ラジオ南日本⇒元日本テレビ⇒フリーアナウンサーである。神奈川県鎌倉市出身。
[編集] 来歴・人物
小学生の時いじめに遭ったことから登校拒否となり、その後名門といわれる湘南高校に入学するも、勉強について行けずすぐに行かなくなってしまい、グレて飲み屋をほっつき回る、喧嘩をするなど、少年時代には日本テレビアナウンサー時代の小林の働きぶりからは想像できないような行為がみられた。
その後、米軍キャンプでのアルバイト中に上司から叱責を受けたのがきっかけとなり、再起のため同高校定時制に入学し、そこから國學院大学文学部日本文学科へと進む。しかし大学在学中に自殺未遂事件を起こす。
今度こそ立ち直ろうと決意し、女子アナになった先輩から声をほめられたことをきっかけにアナウンサーを志し、卒業後、鹿児島県のラジオ南日本(現在、南日本放送)を経て、1963年、日本テレビへ移籍。1974年からは『NNNきょうの出来事』のメインキャスターとなり、独特の低音による「あ、さて」の名調子で知られた。
『NNNきょうの出来事』では櫻井よしこと深夜の時間帯に落ち着いたニュースを伝え、地味ながらも次第に幅広い支持を受け、根強いファンを得るに至った。
1983年には徳光和夫と共に、日本テレビの『おもしろまじめ放送局』(おもしろ:徳光、まじめ:小林)キャンペーンキャラクターとして起用され、大ブレイクした。なお「おもしろ:徳光、まじめ:小林」という図式の裏には、おもしろと思われる徳光の裏にまじめな面もあり、まじめと思われる小林の裏にお茶目で面白い面もあるのが、そのキャンペーンの奥深い点だった。
1985年にはイギリスのロック・ミュージシャン、ポール・ハードキャッスルのヒット曲「19(Nineteen)」の日本語リミックス版(Extended Japanese Mix)において「ベトナム戦争では…」という小林のナレーション音声がサンプリング音源として使用され、話題となった。
本業のアナウンサー業務の方でも『NNN日曜夕刊』『NNN昼のニュース』のメインキャスターとしてますますの活躍を見せている。
その傍ら、いじめや非行などに悩む少年と親に、自分の体験談を講演するようにもなる。娘の他に、ダウン症を持った息子もいたが、わずか生後105日(約3ヶ月)で他界。その息子への思いを綴った手記「優しさをありがとう」「愛、見つけた」を出版する。
1992年に定年退職後にフリーとなる。1996年に講演会で講演中に脳出血で倒れ一命を取りとめ、2001年には脳卒中脳梗塞に倒れてリハビリ生活を送ったこともあった。現在は回復し、その経験を各地で講演している。
[編集] エピソード
- 1983年、当時小林がキャスターを務めていた『NNNきょうの出来事』の生放送中、小林本人がくしゃみをしてしまったことがある。ちなみにそのとき報じていたのは、徳島ラジオ商殺し事件の再審開始を伝えるニュースであった。そのシーンは、語り草として残っている。
- NTV近所の大野屋酒店で商品を購入する際にも解説をしながら購入するなど、お茶目な面がある。
[編集] 外部リンク
- JAL123便墜落事故緊急報道特別番組 事故発生当日、日本テレビの報道特番「NNN報道スペシャル」のキャスターを務める姿がある。
- 小林完吾/写真・プロフィール(システムブレーン)
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