徳光和夫
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徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月10日(戸籍上、実際は3月3日) - )は、東京都目黒区出身のフリーアナウンサー。SMAエンタテインメント所属。元日本テレビアナウンサー。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。海城高校から立教大学社会学部を卒業。
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[編集] 経歴・人物
- 実際の表記は德光 和夫(徳が旧字体、初期の『ズームイン!!朝!』のテロップでもこの表記)。次男はタレントの徳光正行。なお、日本テレビ系列局で福島中央テレビアナウンサーの徳光雅英、声優の徳光由禾とは無関係である。
- 愛称は徳さん。趣味は野球観戦と駅伝観戦と音楽観賞など。
- 戸籍上の生年月日は1941年3月10日だが実際の生年月日は同年3月3日。これは厳格な父・寿雄が、“男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い”と1週間後の10日生まれにしたと、番組の中で本人が明らかにした。戦時中は福島県田村市に疎開。もともとは落語家志望であった。
- フジテレビも受験したが筆記試験で不合格となり(下記詳述)、日本テレビには縁故入社である(本人談)。
- 昭和30年代後半、日本ではハワイアンバンドが全盛を極めていた時期であり、当時大学生だった徳光も立教大でデキシーランドの司会者をやっていた。その時同じく早稲田大学のナレオハワイアンズの専属司会者だった露木茂とはその頃からのライバル関係であり、偶然にも2人はフジテレビの一次(筆記)試験の日に出くわし、一緒に試験を受けている。当然ながら露木は一次通過し、徳光は不合格となってしまったのだが、当時のテレビ業界は“ブンヤ”と呼ばれた新聞業界同様に敬遠され、不人気な業種であったため、東京キー局でさえ広告などでアナウンサーを公募するほどの人材難に陥っていた(競争倍率が数千倍の“超難関”となった今では信じられない話なのだが)。そのため、徳光の筆記試験の結果がいかほどのものであったかを伺えるエピソードとも言える。
- 父・寿雄は日本テレビの役員を務めていたが、当時財団法人日本科学技術振興財団のテレビ局で赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル≪現:テレビ東京≫を立て直すべく、1967年に日本テレビがTBS・フジテレビ・NETテレビ≪現:テレビ朝日≫の在京民放3社とNHKと共に設立した「科学テレビ協力委員会」の委員となり退社。現在のテレビ東京の土台を築き上げている。和夫もフリーに転向後「にっぽんの歌」などテレビ東京の番組に出演し、息子の正行も「レディス4」の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。
- 現在でこそ読売ジャイアンツのファンとして有名だが、中学時代までは西鉄ライオンズ(特に大下弘)のファンだったことを週刊ベースボールで告白している。しかし、私立海城高等学校在学中に「人生のすべてを長嶋茂雄にささげよう」と決意。立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格。大学では放送部に所属。大学の先輩に長嶋茂雄、同期に土居まさる、後輩に古舘伊知郎、久保田光彦、放送部の後輩にみのもんたがいる。
- 「人生のすべてを長嶋茂雄にささげ」、信仰、崇拝していた徳光であったが、長嶋と接見した際、「どなた様?」と言われ徳光はショックで一週間寝込んだという。
- 著書の企業内自由人のすすめによれば、日テレを受験をした際最終選考に残った二人が学生運動に関与していたことが判明し選考を辞退した影響で徳光が採用されたという。しかし、前述のように巨人の熱狂的なファンであったためプロ野球中継の担当にはなれず、プロレス中継を中心に受け持った。また、夏木陽介主演のドラマ『青春とはなんだ』でラグビー中継のアナウンサー役で出演したことがあり、アニメ『ルパン三世』にも自動車レースを中継するアナウンサー役で声優として出演したこともあった。その後、『紅白歌のベストテン』で人気を得、1979年3月からスタートの『ズームイン!!朝!』、1988年4月からスタートの『ニュースプラス1』のそれぞれ初代のメインキャスターを務めた後、1989年に退職し、フリーとなる。
- 1978年からスタートした『24時間テレビ』に第1回から参加しているが、わかっている限りで第1回から皆勤している唯一の人物といえる。
- 1980年にスタートした『NNSアナウンス大賞』の第1回最優秀賞受賞者である。
- 2001年6月に狭心症を患い緊急入院し、生死をさまよったが同月末に現場復帰。実子の著書によれば年齢不相応の不養生が原因であるという。「健康に気を使うということが、既に不健康である」というのが自身のモットーであったが、後にこの認識は改めざるを得なかった、とレギュラー番組で語っている。
[編集] エピソード
- 1989年に日本テレビを辞めてフリーになって以来、最近までNHKで仕事をしたことがなかった。これは、入社間もない頃、集金人に日本テレビしか映らないテレビ受像機を見せた後「受信料は払わない」と通告した事が、NHKの上層部の逆鱗に触れたかららしい。しかし、NHK衛星第2テレビで2005年8月に放送された『ハワイアンのすべて~大橋節夫ファイナルコンサート~』(NHKホールでおこなわれた)の司会としてNHKの番組にも出るようになった。
- 1968年、『キユーピー3分クッキング』で初の男性アシスタントに抜擢されるも、「見てるだけで何もしなかった」(一説によると当時の担当講師である名古屋にある調理師専門学校の講師に向かって「先生、ハゲてますね~」と言ってしまった為とも言われている)ため、また徳光本人が某トーク番組で明かしたところによれば、「味噌汁は水を入れて作るんですね」という失言をしてしまったため3か月で降ろされてしまった。
- メロンパンが好物。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』で成田空港でのジャンケンの敗者と一緒にグアム(当時、巨人はグアムでキャンプを行っていたため目的地がグアムとなった)へ向かい(この時は勝者と敗者が別便でグアムへ向かう途中で機内400問ペーパークイズを行い、勝者の点数が敗者の最低成績者の点数を下回れば失格、勝者が1人失格するごとに敗者の成績上位5人が復活するシステムになっていた)、ペーパークイズ終了後の機内食としてメロンパンが登場した際、ペーパークイズの成績が気になる解答者とは対照的に、徳光は至福の表情でメロンパンを頬張っていた。『ズームイン!!朝!』担当時も常に自分の立ち位置の裏にメロンパンを常備し、CMの合間にほおばっていた。
- 『徳光のTVコロンブス』では、CMに入る前には「ここで、トイレタイムです」との決め台詞を用いた。これ以来、CMを諷刺する語として「トイレタイム」が使われる。又、これと似た決め台詞を使う芸能人には、井ノ原快彦や乱一世(これが原因で問題を起こした一人)がいる。
- アメリカ横断ウルトラクイズ上でも、数多の人格を疑われるような発言をしている。成田予選に負けた出場者を引き連れて勝ち残った人の乗った飛行機が離陸するとき、1982年のレバノン紛争を引き合いに出して「いい気になるな」「お前たちはニッポンの恥だ!」「飛行機よ、落ちろ」「生命保険は入ってるのか!」「ハイジャックが潜んでいるぞ」「お前たちの行く先はニューヨークじゃなくて、レバノンだ!」「思いとどまるなら今のうちだぞ!外務省が泣いてるぞ!」や、1984年、カラシレンコンの食中毒事件が起きたとき、その年のウルトラクイズのグアムに飛び立つ飛行機に向かって「機内食はカラシレンコンだ!」と発言した。ただし番組サイドに言わされていた可能性もある。
- 愛車は日産・シーマ(F50型)。しかし本人は運転免許を持っていない(運転免許取得のために自動車教習所に通った事あるが、指導員とのトラブルで断念したらしい)。
- 大の箱根駅伝好きである。大会前に独自に入手した選手のデータを手に実況を行うほどの熱の入れようで、今は復路8区の茅ヶ崎の名物になっている。この模様は新年1回目の「THE・サンデー」で毎年必ず放送されるが、本人は「あくまでプライベートで応援しているものであり、撮影クルーは勝手に収録している。」と語る。
- 何故か結婚式で彼が司会を務めた芸能人は離婚することが多いため、一時期話題になった。
- テレビでは感涙することが多く(特に24時間テレビ)、「かなり涙もろい」というキャラクターで知られる。しかし息子の正行いわく、「ギャラをもらわなければテレビでは絶対に泣かない」とか。そのためウソ泣き説が囁かれている。そして波田陽区に「涙も仕事のうちですから!」と切られた際、「そう、そうなんだよ。俺だって色々大変なんだよ」と番組で語った。
- プロレス担当時代、リングサイドリポーターを担当していた徳光は、試合中にも関わらずジャイアント馬場に詰め寄りインタビューしようとした。そして「頑張れ馬場、頑張れ」と、大声で応援。ちなみに本人は「長嶋さんの次に尊敬する人は馬場さん」と発言している。
- 同じように1984年2月23日、ニック・ボックウィンクル対ジャンボ鶴田のAWA世界ヘビー級選手権の試合中、鶴田の入場時に近寄ってコメントを求め、試合中にもリングサイドに詰め寄りマイクを向けようとし、「頑張れジャンボ」と絶叫した。
- 1980年代前半に小林完吾アナ(当時)とのタッグで「おもしろまじめ」として売り出したこともある(徳光が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。
- 日テレ時代の後輩である福留功男とは犬猿の仲。主なエピソードに、徳光がウルトラクイズで阪神ファンにピコピコハンマーで殴打され気絶した際、福留は「巨人ファンが阪神ファンに殴られてるよ」と発言。徳光に「留さん」と間違って声をかけた人間に「あんなヤツと一緒にするな!」と激怒したり、互いに日テレ在籍時には「俺は部長級、アイツは課長級」と肩書きで見下したり、各番組で他の出演者が福留に関する話題を振ると激怒するポーズを見せたり、「(福留の)お嬢さんはいい人なんだけどねぇ」と徳光vs福留のエピソードには事欠かない。ただ、放送上では互いに「犬猿の仲」キャラクターを演じている可能性もある。実際、福留は「ズームイン!!朝!」の司会に就任する時のインタビューで、徳光を「各局のリポートをきちんと受け止める名キャッチャーだった」と高く評価していた(徳光も「トメはアナデューサー」だと福留を評価している)。
- 明石家さんまとは全くといっていいほど共演しない。1999年3月末に放送された日本テレビの『スーパークイズスペシャル』で「覆面クイズ正解は多数決!!」というコーナー(進行今田耕司・東野幸治)での解答者として参加し、「この方の司会だけはご遠慮いただきたい」という問題でテレビの視聴者には超大物司会者・Sと答え、「この方の司会で笑った事がない」や「今田さんや東野さんは一緒に仕事していて、どこが面白いんですか?」や「笑っているように見えて、他の事を考えている」と批判していた。約3ヶ月後、さんまが司会を務める『恋のから騒ぎ』でさんまがオープニングで「『24時間テレビ』は今年から出ません」と発言していたことから、徳光がさんまを嫌っている事がわかる(このため、福留功男と違って、徳光とさんまとは本当に犬猿の仲である。そんな徳光は島田紳助や笑福亭鶴瓶を大変気に入っている)。
- クイズ番組において、パネラーの答えを公開する時に「(せ~の)ドン!」と掛け声をするのが癖。これはもともと大橋巨泉がクイズダービーで解答を開ける際に使用していたコールであり、司会が徳光に変わった後もそのまま引き継がれ、クイズダービー終了後も徳光が各種クイズ番組で使用し続けているものである。
- 『24時間テレビ』で長年総合司会を務めているが、続けられるのは徳光の意欲やスタッフの要望もさることながら、徳光に匹敵する大物司会者陣が揃いも揃って24時間テレビの裏番組にレギュラーを持っていて、徳光の後任を狙えないことも大きいのではないかと思われる(例:草野仁・・・『世界ふしぎ発見!』、福留功男・・・『ブロードキャスター』、関口宏・・・『サンデーモーニング』、島田紳助・・・過去に『サンデープロジェクト』など、森本毅郎・・・『グレートマザー物語』など、明石家さんま・・・『さんまのSUPERからくりTV』、みのもんた・・・『どうぶつ奇想天外』)。
- 担当している番組が終了の際「番組をお休みします」という(決して「終わり」「終了」とは言わない)。これは、よほどのことでもない限り復活の可能性があるとして視聴者を配慮してのことだろう。
- 現在の妻はまさか自分がこの人と結婚するとは思っていなかったらしい。おせじにもいい男とはいえない徳光とは最初ほんの軽い気持ちでの付き合いであったという。なお、徳光は一番最初のデートで何故か兵隊やくざの映画に連れて行ったことを暴露している。
- 元ABCアナでフリーの山本モナの不倫に関して「最近のアナウンサーはまともな生活をしていない」とコメント。その山本とは2007年にテレビ朝日の特番で司会コンビを組むことに。
- 後輩である日テレの船越雅史アナのセクハラについては、「私は、彼を信じていたのに。」とコメントしていた。
- かつては前述のような過激な言動が物議をかもしたが2001年に大病を患ってからは年相応の穏やかな言動が目に付くようになった。
[編集] 読売ジャイアンツ関連
前述の通りプロ野球は熱烈な巨人ファンである。故に「ジャイアンツおやじ」とも称される。しかし、強烈なジャイアンツ愛ゆえに他球団をこき下ろす、または侮辱する発言をすることも多い(特に長嶋巨人時代に)。そのため、時折人格を疑われるような暴言を吐くこともあり、他球団のファンならず身内からも痛烈な非難を浴びることがしばしばある。
- 1982年、この年中日と巨人が熾烈なデッドヒートを展開。こうした中「巨人軍が優勝できなかった場合、私は丸坊主になります」と発言。結局中日が優勝し『ズームイン!!朝!』の番組内で板東英二らによって公約通り丸坊主にされた(板東英二を参照)。
- 1984年、広島優勝の直後のズームイン朝で1982年の日航機逆噴射墜落を引き合いに出して「優勝は日本シリーズの第1戦が始まるまであきらめない。だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」と発言し広島ファンのひんしゅくを買った。
- 1985年のウルトラクイズで当時快進撃を続けていた阪神に対して当時話題を呼んでいたハレー彗星を引き合いに出して「阪神の好調はハレー彗星がくるのと同じくらいの珍事」と発言。これがきっかけで、阪神ファンから当時絶好調だったランディ・バースの応援歌「ライトへレフトへホームラン」の次に「徳光倒せオー!!」と歌われ、ピコピコハンマーでたたかれたあげくに(アメフトのヘルメットをしていた)気絶してしまった。
- 1985年、阪神の優勝が迫った時に『ズームイン!!朝!』の中で読売テレビから「どないしよう、タイガースが優勝してしまう」という企画が放送されたが、モニターに背を向けて報知新聞を読んでいた。そして阪神優勝特集がズームインで放送され徳光は画面の右下でへこんでしまった。
- 1989年に、久米宏がニュースステーションのスポーツ企画「ジャイアンツエイド'89」で、巨人が優勝したら「とりあえず丸坊主」になり、日本一になったら「徳光さんの番組(ニュースプラス1)で万歳する」と宣言した。日本シリーズの結果は巨人が3連敗から4連勝で大逆転の日本一。そのため丸坊主の久米が徳光の番組に出演し、「ジャイアンツ万歳」と万歳三唱を行った。
- 1989年の日本シリーズで、初戦から3連勝した近鉄の加藤哲郎投手が、「巨人はロッテより弱い」と発言した(正しくは「シーズン中のほうがきつかったですからね。相手も強いし」と言っていたのだがいつしか改竄された)ことに対して、翌週のニュースプラス1「君のようにふって沸いて出た三流ピッチャーに、ジャイアンツを侮辱する資格はない!!」と激怒した。
- 1996年に東京巨人軍応援団から依頼され、ジェフ・マントの応援歌を作詞した(マントは開幕から10試合出場したものの27打数3安打、打率.111と成績不振に陥り、5月初旬にあっさりと解雇されてしまったため、すぐにお蔵入りとなってしまった)。
- ヤクルトスワローズの野村克也監督(当時)を自身の番組で「麻原彰晃」呼ばわりした上で、ヤクルトのファンをオウム真理教の信者と呼び、散々に非難した(自身が崇拝している長嶋茂雄をこき下ろしていたのに腹が立っていたからだという)。
- 2000年に巨人が東京ドームで優勝した時に胴上げされる長嶋監督(当時)を見て、飲んでいたビールを自分の頭にかけ(本人曰く一人ビールかけ)さらに「巨人軍万歳」と絶叫した。その後、行われたビールかけにも参加(というよりも乱入)した。
- 2001年9月30日・長嶋茂雄が巨人軍の監督を勇退する日、「THEサンデー」の放送中に本人から生電話が届く。徳光は当然のごとく号泣し長嶋から「泣かないでくださいよ」と慰められる。その後、東京ドームで勇退セレモニーを見てまた号泣。隣にいた長嶋の息子一茂にも慰められる。
- 2002年9月24日に巨人のリーグ優勝が決まった当日にタキシードを着てビールかけに乱入。また、翌日の9月25日、サントリーの広告に「1リーグ時代からの巨人ファンで良かった」という意見広告を出した。
- 2003年6月22日のザ・サンデーで巨人が阪神相手に11失点で大敗したことについて「きのうの巨人の大敗が、あさま山荘事件のようで悲しかったです」とコメントし、あさま山荘事件の被害者の遺族を激怒させた。
- 2005年7月3日、脳梗塞でリハビリ中だった長嶋が東京ドームで行われた『巨人対広島戦』を観戦、1年4ヶ月ぶりに姿を見せた際、観戦に来ていた徳光は長嶋の顔を見ると思わず号泣した。翌晩(7月4日)放送の日本テレビ『スーパーテレビ情報最前線 緊急特集・長嶋茂雄復活までの父子物語』に生出演。奇しくもテレビ東京で司会を務める『徳光&コロッケの“名曲の時間です”』が裏番組にあり、出演すべきか悩みに悩んだ結果、出演を決めた。
- 王貞治の最後のホームランとなった868号のバットを所有している(以前テレビ東京の開運!なんでも鑑定団に出品している)。
- 2006年10月8日放送のジャンクSPORTS(フジテレビ系列)のスペシャルで相席していたという事もあるが「星野仙一を将来の巨人軍監督に」と巨人監督就任を熱望する発言をした。ちなみに2005年に堀内恒夫監督が不成績の責任をとり辞任した際次期候補として取りざたされた際は「星野さんは中日で活躍し、その後監督になってからも『打倒巨人』で今の地位を築いた人。巨人ファンはみな歓迎していない。」と反対していた。
- 長嶋茂雄の熱心な信者で1980年に一度目の巨人監督辞任(※事実上の解任)の際黒幕とされた川上哲治を自身の番組で批判したり1998年に自身が嫌っていた野村克也を引き合いに出して采配批判を行った豊田泰光を痛罵した。また、痛罵こそしないが週刊朝日誌上で長嶋を揶揄する絵を掲載していたイラストレーターの山藤章二を忌み嫌っていてテレビ番組で共演するのを拒絶するほどである。
- 2002年、日テレG+のテレビCMで長嶋と共演。(内容は、滝のような涙を流し号泣している徳光に、「徳光さん、ハンケチ。」と長嶋がハンカチを差し出し「ありがとうございます」と言いながら徳光はそのハンカチを手に取ると2人そろって泣くと言うもの)
- また、あまりにも巨人軍を賛美するあまり「石井は何やっているんだ。取れ馬鹿」「松井空振りしてんじゃねーよ」「落合と駒田と広澤と石井は裏切り者だ!清原と川口と大久保を見習え」と発言し、良識あるプロ野球ファンの怒りを買った。なお「裏切り者」の件に関しては落合は(FAで後から入団した)清原との兼ね合い、駒田はやはり落合との兼ね合い、石井はトレードで巨人を出たのであり、自分の勝手な都合で出て行ったわけではなく、主に球団の都合によるところが大きい移動なので、「裏切った」とは解釈し難いのである(それにこの論ではFA自体が成立しない)。
その奔放すぎる言動から、他球団ファンからはいうまでもなく、ジャイアンツファンからも批判が出ている。
結論から言えば「ジャイアンツの大ファンであるが野球のことはわかっていない」人であると言える。
[編集] ギャンブラー徳光
- 温和な顔で有名な徳光だが、大のギャンブルファンである。
- 競馬・競輪・競艇・オートレース全てで顔を見たという人が多数。しかし、あまり勝てないらしい。
- 1997年には船橋競馬で20万馬券を的中させた(WINS新橋の場外発売で馬券を購入)。これは当時南関東の地方競馬としては配当の史上最高記録だったこともあり大々的に報じられた。ちなみにその際、徳光の馬券予想コーナーを掲載していたスポーツ報知では「徳さん万馬券的中!」と1面で報じられたが、別のスポーツ新聞には「初老の男性が換金に来た」(つまり、そのスポーツ新聞は『初老の男性』が徳光であることに気づかなかった)と書かれたことがある(これは、『タモリのネタでNIGHTフィーバー!』でも発表)。また、この時徳光は約800万円の配当を手にしているが、新聞で大々的に報道されてしまったために税務署にその分を申告しなくてはならなくなってしまった。
- ギャンブルでは特に競艇が大好きであり、選手の心理状況や家族構成まで調べるくらいに熱中している。また局アナとして「ズームイン!!朝!」を担当していた時は、番組が終わると毎日のように平和島競艇場に直行していたと言われる。またアナウンサーを引退したら競艇場で予想屋をやりたいと語っている。
- 競馬ではウインズ後楽園に出没する。
- 公営ギャンブル4種以外にも麻雀も打つ。
[編集] 出演作品
[編集] テレビ番組
[編集] 日本テレビ
- キユーピー3分クッキング:アシスタント
- 金曜10時!うわさのチャンネル!!
- アメリカ横断ウルトラクイズ:レポーター
- 全国高等学校クイズ選手権:スタジオ司会・レポーター
- ズームイン!!朝!:初代の司会/1979年3月~1988年4月
- NNNニュースプラス1:初代のメインキャスター/1988年4月~1991年9月
- ザ・サンデー⇒The・サンデー+30⇒The・サンデー:二代目の司会/1992年10月4日~現在
- カックラキン大放送:ナレーター
- 1億3000万人が選ぶ!ベストアーティスト:司会
- 24時間テレビ:総合司会(2001年度はみのもんたが代理司会)
- 歌のワイド90分!:司会
- 速報!歌の大辞テン:飯島直子(後の中山エミリ)と共に司会/1996年10月~2005年3月、2005年12月25日
- 徳光&所のスポーツえらい人グランプリ:所ジョージと共に司会/1994年9月~2005年9月
- 夜も一生けんめい。⇒夜もヒッパレ一生けんめい。:元フジテレビアナウンサーの逸見政孝(故人)の代行・後任司会/1993年9月~1995年3月
- ルパン三世 第73話・花も嵐も泥棒レース:本人役
- NTV紅白歌のベストテン⇒ザ・トップテン:コーナー司会、"エレクトリックおじさん"として
- 歌のトップテン:総合司会/1986年4月~1987年3月
- 新・底抜け脱線ゲーム:司会
- 徳光和夫のTVフォーラム:司会/1984年10月~1988年12月
- 金曜ロードショー 激突!:主役のデニス・ウィーバーの吹替え
- スポーツジョッキー 中畑クンと徳光クン⇒中畑&徳光のスポーツ熱中宣言:中畑清と共に司会/1990年4月~1991年3月
- 徳光の「地球時代です」!:笛吹雅子アナ(当時)と共に司会/1991年10月~1992年3月
- だんとつ!!平成キング:司会
- モー。たいへんでした:司会
- サルヂエ:"サルミツさん"として司会出演/2006年4月5日(「超人気番組大集合!春のサルヂエ祭り!2006」にて)・2006年10月18日~(この日からレギュラー"2代目サルさん"として)
[編集] TBS
- クイズダービー:大橋巨泉の後任司会/1990年4月~1992年12月
- 最終回(1992年12月19日放送)では大橋巨泉が再び司会の為、5枠のゲスト解答者として登場。しかし残念ながら成績は8戦全敗に終わった。
- ダウトをさがせ!(毎日放送制作):司会
- ザッツ!ウェディングベル⇒ウェディングベル:司会
- 世界ウルルン滞在記(毎日放送制作):司会/1995年4月~現在
- 徳光&安住の感動再会“逢いたい!”スペシャル:TBSアナウンサーの安住紳一郎と共に司会
- 徳光和夫の感動再会"逢いたい":司会。上記の「徳光&安住の感動再会“逢いたい!”スペシャル」をレギュラー化。
[編集] フジテレビ
- 森田一義アワー 笑っていいとも!:小林完吾と共にテレフォンショッキングのゲスト/1983年4月5日
- G-STAGE⇒SOUND ARENA
- 幸せって何だっけ~カズカズの宝話~
- めちゃ×2イケてるッ!:岡村オファーがきましたシリーズ(結婚式編)
- 徳光和夫のニッポン遺産!
[編集] テレビ朝日
- 必殺シリーズ 必殺仕事人・激突!(朝日放送制作):ナレーター
- 徹子の部屋:ゲスト
- 水曜スーパーキャスト 徳光&逸見の2度と出来ないテレビ:元フジテレビアナウンサーの逸見政孝(故人)と共に司会/1991年2月頃
- ドスペ! クイズ!ギョーカイ大百科:MC 2006年11月11日
- 徳光&史朗の暴走おやじアナ(元TBSの鈴木史朗と山本文郎、元フジテレビの露木茂らとともに東京の名所を練り歩く番組。2003年から毎年年始に放送)
[編集] テレビ東京
- 徳光のTVコロンブス:司会/1990年4月~1995年3月
- 徳光和夫の情報スピリッツ:司会/1995年4月~2004年3月
- 徳光&コロッケの名曲の時間です:ものまねタレントのコロッケと共に司会
- 夏祭り&年忘れにっぽんの歌:司会
- 田舎に泊まろう!:スペシャル版の司会
- TXN衆院選スペシャル ザ・決断!世紀の決戦:フリーキャスターの小谷真生子と共に司会/2005年9月11日
- 徳光和夫の人生応援スペシャル(テレビ大阪制作)
- 感涙!時空タイムス(テレビ大阪制作):2006年10月23日 -
[編集] NHK
- ハワイアンのすべて~大橋節夫ファイナルコンサート~(BS2):2005年8月13日
[編集] ラジオ番組
[編集] ニッポン放送
- アッコ&徳光のラジオ紅白歌合戦:和田アキ子と共に司会
- ニッポン放送のファンだという徳光はゲストとして呼ばれることが多く、他のラジオ局には滅多に出ない。
- また、日本テレビの局アナ時代にはRFラジオ日本の巨人応援番組を担当していた。
[編集] CM
- 興和:コルゲン、キャベジン(ナレーター、日テレ局アナ時代、終了)
- 三共:新三共胃腸薬(終了)
- タカラ(終了)
- 日テレG+-自らが崇拝する長嶋茂雄と共演(終了)
- サントリーフーズ:フラバン茶
- SKY PerfecTV!
[編集] 関連項目
[編集] 読売ジャイアンツ関連
- 長嶋茂雄(現在、同球団の終身名誉監督で、野球日本代表監督としても知られた)
- 中島治康(故人)
- 三原脩(故人)
- 水原茂(故人)
- 川上哲治
- 藤田元司(故人)
- 王貞治(後の同球団を監督を経て、福岡ダイエーホークス(のちに福岡ソフトバンクホークス)の監督となる)
- 原辰徳(後の同球団のコーチを経て、監督となる)
- 堀内恒夫
- 与那嶺要
- 広岡達朗
- 森祇晶
- 柴田勲
- 高田繁
- 土井正三
- 黒江透修
- 河埜和正
- 新浦壽夫
- 西本聖
- 中畑清
- 定岡正二
- 山倉和博
- 江川卓
- 松本匡史
- ウォーレン・クロマティ
- 斎藤雅樹
- 槙原寛己
- 桑田真澄
- 落合博満(後の中日ドラゴンズの監督となる)
- 駒田徳広
- 吉村禎章
- 広澤克実
- 石井浩郎
- 松井秀喜(現在、ニューヨーク・ヤンキース)
- 清原和博(現在、オリックス・バファローズ)
- 高橋由伸
- 仁志敏久
- 清水隆行
- 元木大介
- 上原浩治
- 二岡智宏
- 入来祐作
- 川口和久
- 大久保博元
- 阿部慎之助
- 木佐貫洋
- 久保裕也
[編集] 芸能関係者、その他
- TOKIO
- 中居正広(SMAP)
- みのもんた(元文化放送アナウンサー)
- 逸見政孝(元フジテレビアナウンサー、故人)
- 露木茂(元フジテレビアナウンサー)
- タモリ
- 萩本欽一
- 板東英二
- 島田紳助
- 吉永小百合
- 竹下景子
- 宮崎美子
- 東ちづる
- 林家正蔵
- えなりかずき
- 福留功男(元日本テレビアナウンサー)
- 福澤朗(元日本テレビアナウンサー)
- 羽鳥慎一(日本テレビアナウンサー)
- 永井美奈子(元日本テレビアナウンサー)
- 関谷亜矢子(元日本テレビアナウンサー)
- 松本志のぶ(日本テレビアナウンサー)
- 大神いずみ(元日本テレビアナウンサー、元木大介夫人)
- 古市幸子(日本テレビアナウンサー)
- 馬場典子(日本テレビアナウンサー)
- 西尾由佳理(日本テレビアナウンサー)
- 三宅裕司
- 小倉久寛
- 古舘伊知郎
- やくみつる
- テリー伊藤
- やしきたかじん
- 江尻良文
- 細木数子
- 和田アキ子
- 渡辺美里
- 脇田義信(元広島テレビアナウンサー、故人)
- 橋本五郎(読売新聞)
- 辛坊治郎(読売テレビ解説委員、元同局アナウンサー)
- 岩田公雄(読売テレビ解説委員)
- 関東大震災
- 地下鉄サリン事件
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