小田友治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小田 友治(おだ ともはる、天文17年(1548年) - 慶長9年(1604年))は戦国時代から江戸時代の常陸国の土豪、武将。小田氏の一族で小田氏治の長男。守治の同母兄。左京亮。小太郎、八田左近、帰庵。
氏治の子であるが、庶子であったため、氏治が北条氏康と同盟を結んだとき、その人質として後北条氏に赴いて、そのまま家臣となり、氏直の代も仕えた。天正18年(1590年)北条氏滅亡後は豊臣秀吉・秀次に仕える。朝鮮出兵では舟奉行として功があり、伊勢国で3100石を与えられた。その後、慶長3年(1598年)に徳川家康に拝謁し、松平定勝に仕えたという。慶長9年(1604年)、京都で没したと伝えられる。