小笠原貞慶
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小笠原 貞慶(おがさわら さだよし、天文15年8月12日(1546年9月6日) - 文禄4年5月10日(1595年6月17日))は小笠原長時の三男。
1548年に父・長時が塩尻峠の戦いで武田信玄に大敗し、やがて領国を追われると、貞慶は父に従って越後の上杉謙信のもとへ落ち延び、1552年から謙信に仕えた。後に父に従って三好長慶に仕え、一時徳川家康にも仕えていた時期があったといわれている。
1579年、父・長時から家督を相続する。この頃の貞慶は織田信長に仕えて武田勝頼と戦い、1582年、武田氏が滅亡すると信長から信濃の一部に所領を与えられた。同年6月、信長が本能寺の変のために死去した後は徳川家康の家臣となり、1583年、家康から松本城を与えられ、大名として復帰を果たした。
1585年、家康の宿老であった石川数正が家康のもとから出奔したとき、それに従って数正とともに豊臣秀吉のもとへ行き、その家臣となった。1590年、小田原征伐で軍功を挙げたため、秀吉から讃岐半国を与えられた。しかし、かつて秀吉の怒りに触れて追放された尾藤知宣を保護したため、秀吉の怒りを買って改易された。