尚泰王
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尚泰王(しょうたいおう、1843年7月8日 - 1901年8月19日)は、琉球王国第二尚氏王朝第19代国王。最後の国王である。在位1847年~1879年。父は、第18代国王尚育王。
1847年にわずか4歳にして即位。1854年にはペリーが琉球に来航し琉米修好条約を締結。
他府県の廃藩置県も済んだ翌年、元来琉球は日本と清(中国)に使を送り独自性を保っていたが、1872年に日本は強引に尚泰を琉球藩王に冊封した。そして1879年のいわゆる琉球処分の断行で琉球藩に沖縄県が設置されると、王号を剥奪され居城の首里城も追われ、琉球王国は消滅した。尚泰たちは琉球王家の屋敷の一つ中城御殿に移ったが、明治政府の命により東京に移住させられる。尚泰の次男尚寅、四男尚順は後に沖縄に帰ってきている。
のち華族令の発令に伴って侯爵となった。1901年に59歳で没。墓所は沖縄県那覇市の琉球王家の陵墓・玉陵(たまうどぅん)。現在も尚家の子孫は沖縄、首里に健在である。
「命どぅ宝」は尚泰王の言葉と言われることもあるが、本来は演劇中のセリフである。
[編集] 家族
- 父・尚育王
- 母・元貞(尚育王妃・佐敷按司加那志)
- 妃・佐敷按司加那志
- 夫人
- 松川按司(父は美里親方安綱)
- 平良按司(父は高宮城親方朝功)
- 妻
- 山本テウ
- 片山テイ
- 松本コウ
- 田中コウ
- 神田ナツ
- 田中ハナ
- 子女
- 長男・尚典、中城王子朝弘
- 次男・尚寅、宜野湾王子朝広
- 三男・尚興(享年二歳、母は松川)
- 四男・尚順、松山王子
- 五男・尚秀、玉城尚秀(玉城御殿へ養子)
- 六男・尚光
- 七男・尚時
-
- 長女・津嘉山翁主
- 次女・安室翁主
- 三女・牧志翁主
- 四女・嘉手苅翁主
- 五女・政子
- 六女・八重子
- 七女・千代子
- 八女・君子
- 九女・小夜子
- 十女・鈴子
- 十一女・貞子
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