島田正吾
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島田正吾(しまだ しょうご 本名、服部喜久太郎(はっとり きくたろう) 1905年(明治38年)12月13日 - 2004年(平成16年)11月26日)は、俳優。
1905年(明治38年)12月13日横浜市生まれ。1923年(大正12年)明星商業高等学校を卒業後、沢田正二郎が率いる新国劇に入団。沢田の急死後、辰巳柳太郎と共に主役級に抜擢され、1987年(昭和62年)に新橋演舞場で劇団創立70周年記念公演をうけて劇団を解散するまで、新国劇の大黒柱として活躍した。盟友辰巳柳太郎とは、「動の辰巳、静の島田」と好対照のライバルとして知られ、渋く独特なせりふ回しで観客を魅了した。
新国劇時代は『関の弥太ッぺ』『瞼の母』『一本刀土俵入』などの股旅物(またたびもの)をはじめ、『霧の音』『ビルマの竪琴』など、現代劇の話題作も演じている。
その他の代表作としては、戦国時代の武士・山本勘助を演じた主演作『風林火山』が知られ、1958年から10年以上にもわたり公演を続けた。
1951年(昭和26年)山田五十鈴を相手役に『夏祭三度笠』で映画に初出演。以後、舞台でのヒット作を映画化した。1955年の主演作『風雲三条河原』では幕末の志士・岡田以蔵役を好演する。NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)、NHK連続ドラマ『ひらり』(1992年)など多くのテレビドラマにも出演した。
1991年(平成3年)からは新橋演舞場で毎年、年に1回だけ『白野弁十郎』や『王将』など、新国劇の代表作を一人芝居にして上演してきた。最後の舞台は一人芝居『夜もすがら検校』(2002年)。
受賞歴は、1958年(昭和33年)毎日演劇賞、1969年(昭和44年)紫綬褒章、1974年(昭和49年)芸術選奨文部大臣賞、1976年(昭和51年)勲四等旭日小綬章、 1982年(昭和57年)長谷川伸賞、1983年(昭和58年)松尾芸能賞演劇特別賞、1984年(昭和59年)菊田一夫演劇賞、1992年(平成4年)フランス芸術勲章シュバリエ章など。
現役最高齢俳優として、96歳まで現役を続けるが、2002年(平成14年)8月15日脳梗塞で倒れる。しかし、病魔に倒れた中でも「99歳まで新国劇の芝居、100歳で新作」と、芝居のビデオをかかさず見続けて、舞台への情熱をもち続けた。島田の書斎の机の上には真山青果作の『富岡先生』の台本が置かれていて、台本の側には99歳になったら演じると決めていた『ひとり芝居』のために推敲中の原稿もあったという。
2004年(平成16年)11月26日午前4時45分に、脳梗塞のため死去した。享年98。 引込みの島田(舞台より引込みの妙味は、国宝級であった)
直弟子には若林豪らがいる。
目次 |
[編集] 主な出演作品
[編集] 舞台
- 『関の弥太ッぺ』
- 『瞼の母』
- 『一本刀土俵入』
- 『霧の音』
- 『ビルマの竪琴』
- 『王将』
- 『殺陣師段平』
- 『荒川の左吉』
- 『私の沓掛時次郎』
- 『白野弁十郎』
- 『司法権』
- 『風林火山』
- 『夜もすがら検校』(2002年)
[編集] 映画
- 『夏祭三度笠』(1951年)
- 『風雲三条河原』(1955年)
- 『武蔵と小次郎』
- 『王将一代』
- 『日本のいちばん長い日』
- 『トラ・トラ・トラ!』
- 『日本沈没』
- 『八甲田山』
- 『あげまん』