市川昭介
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市川 昭介(いちかわ しょうすけ、1933年(昭和8年)1月4日 - 2006年(平成18年)9月26日)は、昭和・平成期の日本の作曲家。福島県郡山市出身。
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[編集] 来歴・人物
福島県立郡山工業高等学校(現・福島県立郡山北工業高等学校)を卒業した18歳の頃、[ハワイアンバンドでの歌手デビュー]を目指し上京。歌手の高倉敏、鶴田六郎氏らの付き人(かばん持ち)をする傍ら、作曲とピアノを独学で学ぶ。 「漫才師を目指しコロムビア・トップ氏に弟子入り」との風評があるが、実際には歌手を志しての上京であり、当時付き人として日本全国を帯同した「コロムビア大行進」と銘打った興行の、専属司会者がコロムビア・トップ氏だった為、その当時の接点が曲解されて語り継がれているに過ぎない。
1961年(昭和36年)、島倉千代子が歌い第3回日本レコード大賞作曲奨励賞を受賞した『恋しているんだもん』でデビュー。
1962年(昭和37年)、畠山みどりの『恋は神代の昔から』がミリオンセラーとなり、翌年の『出世街道』も連続のミリオンセラーを記録。1964年(昭和39年)、都はるみの『アンコ椿は恋の花』が3作目のミリオンセラーとなり大ヒット。以後『涙の連絡船』『好きになった人』『大阪しぐれ』など、都はるみの一連のヒット曲を作曲。都はるみを国民的演歌歌手に育て上げた。都はるみは恩師の市川を歌謡界の父親と慕っていた。
日本コロムビア、クラウンレコードの専属作曲家を務めた後、1974年(昭和49年)にフリーに。
市川の門下生には都はるみの他、畠山みどり、五木ひろし、大川栄策、神野美伽、市川由紀乃らがいる。
1990年(平成2年)から日本レコード大賞の実行委員長を務め、1998年(平成10年)からレコード大賞の制定委員を務めた。また、日本音楽著作権協会(JASRAC)の評議員、日本作曲家協会の副委員長も歴任した。
1992年(平成4年)、郡山市特別表彰。1996年(平成8年)、紫綬褒章受章。2004年(平成16年)、旭日小綬章受章。
2006年(平成18年)9月26日午前5時、肝不全のため東京都渋谷区の病院で死去。享年73。
2006年(平成18年)9月29日午後 川崎市立かわさき北部斎苑で火葬され荼毘にふされた。
[編集] 代表作
- 恋しているんだもん(唄・島倉千代子)
- 恋は神代の昔から(唄・畠山みどり)
- 出世街道(唄・畠山みどり)
- 皆の衆(唄・村田英雄)
- アンコ椿は恋の花(唄・都はるみ)
- 涙を抱いた渡り鳥(唄・水前寺清子)(『いづみゆたか』名義)
- 涙の連絡船(唄・都はるみ)
- 夫婦春秋(唄・村田英雄)
- 絶唱(唄・舟木一夫)
- 好きになった人(唄・都はるみ)
- この道をゆく(唄・美空ひばり)
- 大阪しぐれ(唄・都はるみ)
- 浮草ぐらし(唄・都はるみ)
- 鳳仙花(唄・島倉千代子)
- さざんかの宿(唄・大川栄策)
- 細雪(唄・五木ひろし)
- 夫婦坂(唄・都はるみ)
- 男船(唄・神野美伽)
- しのぶ(唄・美空ひばり)
- 龍馬残影(唄・美空ひばり)
- 浪花盃(唄・五木ひろし)
- 釜山海峡(唄・神野美伽)
- 恋挽歌(唄・伍代夏子)(第32回日本レコード大賞作曲賞)
- 駅(唄・大川栄策)
- 再会(唄・大川栄策)
- 海峡出船(唄・市川由紀乃)(市川昭介最後の録音立会い曲)
- 夢がたり(唄・里見浩太朗)(時代劇『八百八町夢日記』第2シリーズ主題歌)
- イルカに乗った少年(唄・城みちる)(『林あきら』名義)
- ハクション大魔王の歌(テレビアニメ『ハクション大魔王』主題歌)
- 大ちゃん数え唄(唄・吉田よしみ(後の天童よしみ))(テレビアニメ『いなかっぺ大将』主題歌)ほか多数
[編集] テレビ番組
- 家族そろって歌合戦(TBS、審査員)
- ルックルックこんにちは(日本テレビ、『女ののど自慢』審査員。「昭ちゃん先生」の愛称で親しまれた)
- カラオケトライアル(ちばテレビ、審査員長。余談だが、この番組と『女ののど自慢』は夏木ゆたかが司会を務めた。)
- 平成歌謡塾(コロムビアソングス制作、テレ玉・メ~テレ他、司会)