度島
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[編集] 地理
平戸島の北方4kmに位置する面積3.45平方kmの島。北東から南西に向かって細長く伸びた形をしており、東西3.5km、南北1kmの長さである。人口は1,000人程度。島内には、浦・中部・三免の3つの集落が存在する。
古代遺跡やキリシタン遺跡がある。キリスト教が広まったが、後のキリシタン弾圧で逃亡、改宗を余儀なくされた。現在では浄土宗が大半を占めている。島の言葉は公家の流れに属しており、そのあたりが平家落人説の根拠となっている。昔の風習が色濃く残っており、年中行事の多くが旧暦に合わせて行われる。
建物に関しては木造の一戸建てが主である。集合住宅は教員住宅がある。また3階建て以上の建物は存在しない。
[編集] 自然
離島であるがゆえに数々の希少な生物が生息している。島外からの観光客の流入を嫌い見送られたものの、島を国立公園にしようという話が持ち上がったことがある。ただ、下水浄化施設がないこともあり、垂れ流しの生活廃水や農薬の使用、新しい道路や港の建設などが、環境を破壊する要因となっているとの指摘もある。
[編集] 行政
明治時代初期は北松浦郡多久島村として独立していたが、1889年4月1日の町村制度施行時の際、平戸島内の一部の地域を行政区域とする平戸村と合併し、平戸村に属した。1925年4月1日に平戸村が平戸町と合併したことで平戸町に属し、1955年1月1日に平戸町を含む平戸島内の全町村が合併して平戸市が発足したことで、島も平戸市に属することになった。2005年10月1日に平戸市が周辺市町村と対等合併したため、市名は平戸市のままだが新市制となっている。
[編集] 産業
農業は古くから、稲作が行われている。多くの世帯が小麦を栽培していたが、農産物輸入自由化により価格が下落したために減少した。稲作自体も相次ぐ減反などが理由となり、利益を出すためではなく自給するために農業を営んでいるものがいる。
かつては肉牛を飼っている世帯が大半を占めていたが、現在は一軒だけとなってしまった。牛は食用のために出荷されるだけでなく、畑を耕したり荷物を運んだりと、働き手として貴重な存在であったが、その役割を機械にとって代わられ、飼育の手間もあり徐々に減っていった。島の各所には牛小屋が残されているが、その多くは物置として使われている。
男性は漁業の会社に属し、その船で1ヶ月ほどの遠洋漁業に従事しているものが大半である。1ヶ月のうち満月の出ている4,5日が休暇となる。
若年者を多く雇用できるような産業がなく、過疎化が深刻な問題となっている。
[編集] 教育
島の中央に小学校(平戸市立度島小学校)と中学校(平戸市立度島中学校)がある。
小学校と中学校は校舎や校庭を共用しており、小学生と中学生は、運動会や遠足などを合同で行っている。保育所を合わせ、10年以上同じクラスで過ごす子供もいる。
[編集] 交通
島内の交通は道路のみである。国道・県道・主要地方道はなく、市道のみである。道路に信号機がなく、中央線がない区域がある。島内ではバス・タクシーなどの公共交通機関は存在せず、島民は交通手段として自動車(マイカー)、自転車、耕運機などを使用している。
島外と島内を結ぶ交通手段としては、平戸市中心部の平戸港と島内の2つのフェリーターミナルを結ぶフェリーが定期的に運行されている。フェリーターミナルは島の東部の飯盛地区と島の西部の本村地区に設けられている。このほか船やヘリコプターを使い行き来することもある。
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