愛知教育大学附属名古屋中学校
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愛知教育大学附属名古屋中学校(あいちきょういくだいがくふぞくなごやちゅうがっこう)は、愛知県名古屋市東区大幸南にある愛知教育大学の教育学部が管轄する中学校である。
正式名称は、「国立大学法人愛知教育大学教育学部附属名古屋中学校」。
隣接して愛知教育大学附属名古屋小学校、愛知教育大学附属幼稚園もある。他に愛知教育大学附属岡崎小学校・中学校がある。
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[編集] 概要
- 校歌は混声3部合唱(ソプラノ・アルト・男声)であり、一人で歌うことができない。またグローリア(モーツァルト作曲)は「第二の校歌」と呼ばれる。伝統ある合唱が有名で、毎朝と帰りに(CTとして)合唱活動を行っている。毎年2月に行われる合唱祭はそのこともあり、一般中学校に比べ、かなりレベルの高いものとなる。平成元年度から合唱祭の模様はCDに収録され、その年の生徒に配られる(それ以前はレコード)。
- 自主自立の精神に則り、Noチャイム制を平成11年度から採用している(定期テストを除く)。また、職員会議の時間確保のため、課外(放課後)が短いので、部活動は生徒による活動がほとんどである。
- 二期制で前期と後期の間に秋季休校(秋休み)がある。そのため、夏季・冬季休校の前後に始業式や終業式は行われない。しかし、1期、2期、3期と分かれているため、厳密には3期制ともとれる。
- 帰国生徒学級(E組)を設置している。A組と交流学級となっており、学校行事の際はAE組として合同で扱われる(学校祭・合唱祭のクラス合唱を除く)。そのため、教室配置もA組とE組が近くに来るように配置されている。
- 各クラスに担任、副担任の2人がいる複数担任制である。A組の副担任はE組の副担任を兼任する。
- 教育大学の附属機関であるため教育実習が多く、毎年研究発表会が開かれる。全ての教科において特異な授業を展開していることや宿題がほとんどないのが特徴である。総合的な学習を重視していて、FW(フィールドワーク),MT(マイタイム),CT(コーラスタイム)を取り入れている。(この3つは学期によって変わる)
- 校長が管轄である愛知教育大学から赴任するのも特徴。過去には、甲斐睦朗・元国立国語研究所長が務めたこともある。
- 2005年度後期より、他人の模範となる生徒をベスト・フチューデント(優良附中生)として生徒の投票により選出し、記念のバッジを贈呈するようになった(バッジは毎年色が違う)。
[編集] 主な行事
- 5月 長崎の生活(3年生)
- 5月 クラスマッチ(1・2年生)
- 6月 車山の生活(1年生)
- 6月 小豆島の生活(2年生)
- 6月 クラスマッチ(3年生)
- 9月 研究発表会
- 10月 学校祭
- 2月 合唱祭
- ちなみに、宿泊行事の実施場所は1年次が山の生活、3年次が海の生活となっている。元々は2年次が海の生活になっていたが、2004年から2年次が小豆島に変更された。なお、1996年次の山の生活は山中湖で実施され、97年以降、鹿沢(群馬県)に戻されている。また、2年次(3年次)が海の生活となったのは1998年からのことで、その年限り南伊豆での実施となった。翌年には広島に変わったため、1年限りで終わった幻の宿泊行事として、卒業生達の間では思い出話の種になることも多い。それまでの2年次の宿泊行事は白馬(長野県)であった。前述の通り、2003年までの3年宿泊行事は小豆島の生活だった。
- SARSによって旅行の場所の変更を余儀なくされた年もある。
[編集] 沿革
- 昭和22年 『愛知第一師範学校男子部附属中学校』及び『愛知第一師範学校女子部附属中学校』の二校が創設される。当時の所在地は春日井市。
- 昭和23年 男子部と女子部の合併、学校名が『愛知第一師範学校附属中学校』に改められる
- 昭和24年 西区北押切町へ移転し、以後5月17日が創立記念日になる
- 昭和26年 学校名が『愛知学芸大学附属名古屋中学校』に改められる
- 昭和29年 名古屋市東区大幸町へ移転する
- 昭和41年 学校名が『愛知教育大学附属名古屋中学校』に改められる
- 昭和42年 校旗・校章の制定、現在に至る
- 昭和43年 現校歌の制定、現在に至る
- 昭和53年 ゆとりの時間により生み出された「自主の時間」が設定される(後のMT)
- 昭和54年 校歌碑と中庭に「学問と友情と希望を語る森」が完成する。ただし、生徒からこの名称で呼ばれることはほとんどない。ほとんどの生徒が「憩いの森」と呼んでおり、教員もこの名称で呼んでいる。
- 昭和55年 帰国子女学級が開設される。
- 平成元年 英語科で外国人講師が任用される
- 平成2年 情報基礎教育が開始される。
- 平成5年 大鴻館(体育館兼講堂)建て替え。
- 平成9年 創立50周年記念大会がナゴヤドームで挙行される。ナゴヤドームの所有主の中日新聞社の社長が本校の卒業生であったからという話もあり、記念講演には元国連事務総長、ハビエル・ペレス・デ・クエヤルが招かれた。この年校内LANが完成し、翌年に各教室にパソコンが1台ずつ導入された。
- 平成12年 地下鉄砂田橋駅開業。この際、学校の敷地が一部削られ、地下鉄の出口になっている。
- 平成15年 第一回学校祭が開催される。
- 平成16年 独立法人化される。
- 平成17年 学校防犯システムが導入される。
[編集] 出版
- 昭和50年 研究図書「評価を生かした授業設計」
- 昭和63年 研究図書「授業に子どもの論理を生かす」
- 昭和55年 研究図書「子どもの側に立つ授業」
- 平成4年 研究図書「個が生きる授業の創造」
- 平成9年 研究図書「豊かに生きる子どもが育つ授業の創造」
[編集] その他
- 「愛知教育大学附属名古屋中学校生徒」のことを「附中生(ふちゅうせい)」と略して呼ぶ。
- 最寄り駅は地下鉄名城線砂田橋駅。工事の際、学校の敷地を削って出口を設置したというエピソードがある。