慶安御触書
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慶安御触書(けいあんおふれがき、慶安のお触書とも)は、江戸時代、慶安2年(1649年)に出されたとされる御触書で『徳川禁令考』に収録されている。百姓に対し贅沢を戒め、農業など家業に精を出すよう求めた物で、32ヶ条と奥書から成り立つ。
この文書は徳川政権の対農民政策を象徴する文書として扱われていたが、長年全国的に適用された法なのか、それとも天領・旗本領に対する限定的な法なのかで議論されてきた。だが、近年になって慶安2年当時の原本が見つからない事や、信濃国など一部の地域でしかこれを記した文書が見つからない事などから偽書・偽文書とみなす説や、幕府や諸藩が出した農民統制の法令を慶安年間に仮託して集成したものとする説も現れた。その一説として、100年以上も後の宝暦~天明期(1751~1789年)の農民教諭書が修正・補筆されて「慶安御触書」として流布されたというものもある。近年では「慶安御触書」を記載しない歴史教科書も多くなっている。
だが、江戸時代後期にはこれを真正の幕府法と信じて、自領の統治に応用していた藩も少なからずあるとも言われており、当時における社会的な影響力は決して小さくはなかったようである。
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