新興国競技大会
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新興国競技大会(しんこうこく・きょうぎたいかい 英:The Games of the New Emerging Forces (略称:GANEFO))は、オリンピックに対抗するものとして1962年後半にインドネシア政府によって準備・開催されたスポーツ大会。
[編集] 概要
いわゆる「新興国」(主に新しく独立した社会主義国家)のスポーツ選手のための大会で、その憲章では政治とスポーツが密接な関係であることが明らかにされた。
開催のきっかけは1962年にジャカルタで開催されたアジア競技大会にインドネシア政府の方針でイスラエルと台湾が招待されなかったことが問題となったことによる。
当時、インドネシア大統領のスカルノはアラブ諸国への宗教的親近感、社会主義国家建設における中華人民共和国への親近感を明らかにしていた。
これような方針は政治をスポーツから切り離すように務めてきた国際オリンピック委員会(IOC)の主義に抵触するものであった。また、中華人民共和国は台湾がIOC加盟国として存続することを否定していたためにIOCに未加盟であった。
そこでIOC、国際陸上競技連盟(IAAF)、国際ウエイトリフティング連盟(IWF)は第4回アジア大会は正式競技大会としては認めないとの方針を表明、翌1963年4月にIOCがインドネシアのIOC加盟国としての資格停止(オリンピック出場停止)を決議、これに対抗しアラブ諸国12ヶ国が東京オリンピックのボイコットを示唆するなどの対立が強まった。
インドネシアはIOCを脱退し、同年4月28日にはソビエト連邦、中華人民共和国を中心とする社会主義国、及びアラブ諸国、アフリカ諸国に呼びかけてオリンピックに対抗しうる総合競技大会を開催することを発表した。
そこで、IOCや、IAAF、国際水泳連盟(FINA)といった国際競技連盟(IF)はGANEFOに出場する選手は資格が停止されオリンピックに参加する資格を失うと宣言した。
第1回新興国競技大会は1963年11月10日から13日までジャカルタで開催され、51ヶ国1500人[1]が参加した。日本からもGANEFO国内委員会が設立され選手が参加している。尚、この国内委員会は当時の日本体育協会とは無関係の団体であった。また諸国からの参加も、国家社会主義に親近感を抱く大学等が国を代表しているとしているものがあった。
中華人民共和国からは有力選手が出場し多くの種目で優勝している。当時のソビエト連邦は、社会主義国家の団結を示すためにGANEFOに選手を派遣したが、IOCにおいて立場を悪くしないためにこれらの選手はオリンピックに出場するレベルの選手ではなかった。陸上競技、重量挙げ、アーチェリーにおいては世界記録が樹立されている。
1965年に入り、インドネシア国内での社会主義国への親近感の後退(9月30日事件の発生)から、インドネシアと中華人民共和国の関係は以前より強力なものではなくなり、1967年にエジプトのカイロで開催が計画されていた第2回大会はキャンセルされた。
また、インドネシア提唱の新興国競技大会とは別の組織として、北京に本部が設置された「アジア新興国競技大会」(Asian GANEFO)が主催する競技大会が1966年11月にカンボジアのプノンペンで開催され、日本を含む17ヶ国が参加しているが、この際の国内団体も日本体育協会とは無関係の団体であった。
日本国内においては日本オリンピック委員会(JOC)は1963年のGANEFOには参加しないことを決定。参加した選手は国際大会への参加資格を失うほか、国内の国民体育大会への参加資格も剥奪された[2]。
[編集] 脚注
- ^ 出典:日本オリンピックアカデミー編『オリンピック事典』1981年。中国オリンピック委員会公式サイトでは48ヶ国2404人としている。
- ^ 昭和42年11月22日付 衆議院文教委員会議事録に記載がある。