春日元忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
春日 元忠(かすが もとただ、永禄2年(1559年)? - 慶長13年(1608年))は、戦国時代の武将。武田氏、次いで上杉氏の家臣。
はじめ武田勝頼に仕えたが、1582年に織田信長によって武田氏が滅亡すると、上杉景勝のもとに逃れて、その家臣となった。そして景勝の下で軍師となっていた直江兼続の側近となる。以後は兼続の部下として働き、「直江氏被官の棟梁」などと称された。しかし武将としては必ずしも有能とは言えず、1600年の関ヶ原の戦いでは、最上氏の武将・志村光安の前に長谷堂城の戦いで無様な大敗を喫するなどしている。
1608年に死去した。