木島則夫
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木島 則夫(きじま のりお、1925年5月10日 - 1990年4月13日)は、日本の司会者・アナウンサー。民社党参議院議員。
東京都出身。1948年明治学院大学文学部英文科を卒業。NHKアナウンサーを経て、1964年4月に日本教育テレビの木島則夫モーニングショーの司会を務め、ワイドショーブームの火付け役となった。
1971年の参院選に民社党公認で東京選挙区から出馬、現職の改選議員がいなかった自由民主党が前警視総監の原文兵衛を擁立し(一部は元消防総監の江藤彦武を支援)公明党も新人の黒柳明を擁立、日本社会党の木村禧八郎・日本共産党の野坂参三・無所属の市川房枝と強豪揃いの中選挙戦を戦う。結局この参院選で木島は当選、木村・市川が落選の憂き目に遭った。1977年の参院選でも再選され青年婦人対策委員長を務めるが、三選を狙った1983年の参院選では新自由クラブを脱党し税金党で参院選に出た野末陳平と支持層が重なってしまい、落選。そのまま政界を退き、癌で闘病の日々を送る。
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