本国艦隊
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本国艦隊(ほんごくかんたい、The Home Fleet)とは、イギリス周辺を防衛するイギリス海軍の艦隊の伝統的な呼称である。
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[編集] 第一次世界大戦以前
海峡艦隊の項目を参照
[編集] 第一次世界大戦
第一次世界大戦中、本国艦隊はグランドフリートと改名された。 第一次世界大戦中の最大の戦いは、ドイツ海軍の大洋艦隊が試みたほぼ唯一の北海遠征に際して発生した、ユトランド沖海戦であった。この戦いでイギリス側も大きな損害を受けたが、大洋艦隊の主力艦を以降港に留め置かせ、イギリスが制海権をほとんど握ることになった。
詳細はグランドフリートの項を参照
[編集] 戦間期
「本国艦隊」という名称は1932年に復活した。これはインバーゴードン反乱の結果、大西洋艦隊が改名することとなったためである。1933年時点での司令長官はジョン・ケリー大将(GCVO(en)、KCB授与者)であった。本国艦隊は戦艦ネルソンを旗艦とし、1個戦艦戦隊(ネルソンを含め6隻)、1個巡洋戦艦戦隊(2隻)、1個巡洋艦戦隊(3隻)、3個駆逐艦戦隊(27隻)、1個潜水艦戦隊(6隻)、2隻の航空母艦および補助艦艇から成り立っていた。
[編集] 第二次世界大戦
本国艦隊は第二次世界大戦中、イギリス海軍の欧州海域における主要戦闘部隊であり、主力艦から成る複数の戦隊と、正規空母により構成されていた。本国艦隊の第一の任務は、ドイツ海軍の水上艦艇が北海に進出するのを防ぐことであった。このために第一次世界大戦の際、海軍根拠地として使用されたスカパフローが、再び使用されることとなった。これはスカパフローが、封鎖を突破しようとする艦船を迎撃するのに適した位置にあるためである。
大戦初期に本国艦隊が受けた最も予想外の損害として、安全な地域だと考えられていたスカパフローで撃沈された旧式戦艦ロイヤル・オークと、ドイツの戦艦ビスマルクによって沈められた「イギリス海軍の誇り」巡洋戦艦フッドが挙げられる。前者の撃沈の後、本国艦隊は一時的にスカパフローを去り、クライド川河口付近のテイル・オブ・ザ・バンク(en)を根拠地とした。
本国艦隊の作戦区域は特に区分けされておらず、所属艦艇も非常に柔軟に他の地域へ分遣された。しかし、北海南部とイギリス海峡については、より小回りの利く部隊のために別々の司令部が設置された。また、大西洋の戦いが苛烈さを増した結果、ウェスタンアプローチ管区が設置された。1944年にドイツ戦艦ティルピッツが行動不能となったことにより本国艦隊の優先度が下がり、大部分の主力艦が引き抜かれて極東へと送られた。
第二次世界大戦中の司令長官は以下の通り
- チャールズ・フォーブス(1939-1940)
- ジョン・トーヴェイ(1940-1942)
- ブルース・フレーザー(1942-1944)
- ヘンリー・ムーア(1944-1945)
[編集] 第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、本国艦隊は本国海域並びに南北大西洋を担当地域とする平時の態勢に戻った。冷戦期には、他のNATO諸国と連携し、北大西洋をソ連から防衛することが非常に強調された。
本国艦隊は1967年に地中海艦隊が解散し、その艦艇および人員が編入されるようになるまでこの任務を継続した。これ以降本国艦隊は、その担当地域を飛躍的に増大させ、イギリス本土周辺海域を防衛するだけの存在ではなくなったため、西方艦隊と改名した。こうして本国艦隊はその著名かつ歴史的な名前を歴史に引き渡したのである。
[編集] 外部リンク
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