本城常光
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本城 常光(ほんじょう つねみつ 1513年(永正10年) - 1562年12月1日(永禄5年11月5日))は、戦国時代の石見国の武将。高橋興光の弟であると言われている。
はじめ尼子晴久に仕えたが、晴久が1540年の毛利元就の吉田郡山城攻めで大敗を喫すると、大内義隆に服属する。そして義隆が1543年に出雲国に侵攻して大敗を喫すると、再び尼子晴久の家臣となった。
戦国時代に主君をたびたび変えることは珍しいことではないが、常光がこう何度も主君を変えることができたのは、彼の所領が石見銀山を有していたこと、彼自身が武勇に優れていたことが挙げられる。1560年、晴久が死去して元就が石見に侵攻して来ると、今度は元就に味方して石見平定に貢献したが、何度も主君を平気で裏切る性格を元就に恐れられて、1562年に謀殺されてしまったのである。
なお、毛利元就の兄・毛利興元の夫人は常光の姪であった。