本庄道利
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本庄 道利(ほんじょう みちとし、宝暦4年6月11日(1754年7月30日) - 文化2年5月23日(1805年6月20日))は、江戸時代の大名・伏見奉行、奏者番。
旗本松平信直の二男。従五位下、伊勢守・甲斐守・織部正。はじめの名は信達。正室は毛利高丘の娘。
本庄道揚に実子がなかったため、養子として美濃国高富藩主の地位を相続した。隠居後は、嫡子の道昌が跡を継いだ。
[編集] 経歴
- 明和8年(1771年)12月12日、家督を相続する。12月28日、伊勢守に叙任。
- 安永2年(1773年)4月、日光御祭礼奉行となる。
- 安永4年(1775年)、大坂御加番代に任ぜられる。
- 天明7年(1787年)3月8日、甲斐守に改める。
- 寛政3年(1791年)5月24日、伏見奉行に就任。
- 寛政7年(1795年)12月8日、奏者番に転じる。
- 寛政12年(1800年)7月11日、病気により職を免ぜられる。
- 享和元年(1801年)6月21日、隠居。7月5日、織部正と改めた。
- 文化2年(1805年)5月23日、江戸で死去、52歳。法名は啓運院霑誉法潤弘道。
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