東大泉
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東大泉(ひがしおおいずみ)とは東京都練馬区の西部に位置する地域。東大泉1丁目から7丁目まである。北部を大泉町・大泉学園町・西大泉、南部を石神井台、東部を三原台・石神井町、西部を南大泉と接する。西武池袋線大泉学園駅の付近を中心に工業が盛んである。
- 人口-32,634人(平成19年3月1日現在。住民基本台帳より)
- 面積-2.433k㎡(平成17年10月1日現在)
- 郵便番号-178-0063
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[編集] 歴史
江戸時代、東大泉のある地域は豊嶋郡の土支田村上組の呼ばれていた。土支田村は大きな村だったため上組(南)と下組(北)に分けられていた。現在の東大泉の他にも、三原台2・3丁目の一部、大泉町2丁目の一部は土支田村上組に属していた。1873年(明治6年)、大区小区制によって上組と下組は分離され、上組は上土支田村と呼ばれるようになった。1889年(明治22年)、上土支田村は町村制によって南の石神井村と合併し、大字上土支田となる。さらに1891年(明治24年)、隣村の埼玉県新座郡にあった榑橋村が東京府に編入され大字上土支田と合併し大泉村が誕生した。当時小学校は村ごとに運営されており、一つの村に必ず一校小学校を設置する必要があった。上土支田の豊西小学校と榑橋村の榑橋小学校は、間隔が1km以内と近距離にあった。そこで合併すれば小学校を統合でき、大幅な経費削減が期待できることから、両村は合併した。合併後、豊西小学校と榑橋小学校は統合され、村の中央部に新たに泉小学校が設置された。後に泉小は現在の大泉小学校になる。 昭和7年、大東京市の成立とともに板橋区(現在の練馬区と板橋区を包含)が誕生した際に大泉村は解体。東大泉町が誕生した。1947年(昭和22年)の練馬区独立後もそもまま踏襲され、1980年(昭和55年)8月1日第18回住居表示により東大泉町から東大泉となり現在に至る。
[編集] 産業
[編集] 農業
- 販売農家数-21戸
- 農業就業人口-58人
- 経営耕地面積-1426a
- 畑-1372a
- 樹園地-54a
- 主要農作物作付面積
- キャベツ-988a
- ばれいしょ-54a
- ダイコン-75a
- ほうれんそう-93a
(平成12年2月1日現在、「練馬区統計書平成17年版 農業センサス」より。なお、ここに掲載したのは農業集落名が「東大泉町」となっている農家である。この農業集落は三原台三丁目にもまたがっている為、実際には若干これより少ない。)経営耕地面積が1426aとなっているように区内では比較的広大な農地を抱えている(32集落中第8位、区内全体の約5%)が、大泉地区では最下位である。畑の約72%がキャベツの栽培に当てられている。
[編集] 工業
- 工場数-27(平成15年12月現在「練馬区統計書平成17年版 工業統計調査」より)
- 従業者数-577人
- 常用労働者-565人
- 事業主・家族従業者-12人
- 製造品出荷額等-1,768,996(万円)
- 付加価値額-1,049,085(万円)
東大泉には工場数はあまり多くないが、従業者数が50人を超える工場が3ヶ所もあり、事業主・家族従業者の割合は約2%(練馬区全体7.5%)と低いなど比較的規模の大きな工場が多い。製造品出荷額等は区内の約17%(第1位)、付加価値額は約19.5%(第1位)を叩き出すなど練馬区で最も工業が盛んな地域の一つである。特に西武池袋線大泉学園駅のすぐ北側にある1丁目と関越自動車道大泉インターチェンジのある2丁目では町内の工場の約66%、労働者の約65%が集中し、製造品出荷額は約98%を占めている。平成12年と比べると工場数は6減(-18.1%)、事業主・家族従業者が6減(-33.3%)と従業者数が1~3人の零細工場が縮小している。しかし常用労働者数はまったく変わっておらず、現金給与総額は11億2233万円増(+37.3%)、製造品出荷額は65億4905万円増(+58.7%)となっているように全体的には景気がいい。なお常用労働者の給与一年間の総額(現金給与総額)は41億2424万円(一人当たりにすると約729万9540円)と区内ではトップクラスである。たとえば同じく工業が盛んな貫井では24億366万円(常用労働者数は627人)、北町では27億7700万円(638人)となっている。
[編集] 商業
- 卸売業(平成14年6月1日現在、「練馬区統計書平成17年版 商業統計調査」より)
- 商店数-24
- 従業者数-188人
- 年間販売額-5488(百万円)
- 小売業
- 商店数-344
- 従業者数-2546人
- 年間販売額-35914(百万円)
小売店は練馬区内で最も数が多く(区内の約7%)、西武池袋線大泉学園駅より北側の1・2・3・4丁目に多く分布している。特に1丁目には大型店もみられ、町内の小売店の約24%が集中している。
[編集] 交通
- 道路
- 関越自動車道(大泉インターチェンジ)
- 東京外環自動車道(大泉インターチェンジ)
- 東映通り
- 目白通り
- 上石神井通り
- 大泉学園通り
- 大泉駅前通り
- 鉄道
[編集] 参考文献
- 桑島新一 「練馬の地名今むかし」『ねりま区報』、練馬区、1984年(昭和59年)6月~1985年(昭和60年)8月
- 桑島新一 「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」『ねりま区報』、練馬区、1985年(昭和60年)11月~1986年(昭和61年)4月
- 練馬区 『練馬区統計書 平成17年版(2005年版)』 練馬区、2006年
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