東洋
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東洋(とうよう, Eastern world)は、本来は、文化や歴史の観点から世界を大まかに東洋と西洋に2分したうちの東側。トルコから東の、アジアとほぼ同じ地域を指した。近東・中東・極東に分けられる。
ただし近年では、中近東(中東と近東)を除いた、極東を漠然と指すことが多い。この場合、東洋には東アジア・東南アジア・南アジアが含まれ、東洋と西洋の間にはどちらにも属さないイスラム社会がある。
さらに、東洋を仏教・ヒンドゥー教地域と定義し、アブラハムの宗教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)化した地域と対比させることもある。ただしこの定義では、インドネシアやフィリピンなどの位置づけが問題になる。
逆に、最も広義には、主にヨーロッパ中世・近世史の文脈で、ロシアやバルカン地域を含むこともある。ただし、日本ではこのような用法はほとんどない。
[編集] 日本での捉えられ方
日本では、世界を大まかに東洋・西洋とよぶ方法は19世紀後半におこり、中等教育での歴史教育で促進された。1894年に文部省から「東洋史」として新設教科の教授要領が発表され翌年に教科書が発行された。この東洋とは、ヨーロッパ文化圏の世界に対し、明治期の富国強兵時代の日本がそれらと互角に対峙したいという希望をもって考え出された概念である。この頃の日本とは、西洋に追いつけ追い越せの時代であり、その後の大東亜共栄圏につながる日本中心の東洋史観がその根底にある。
東洋史として講義されたのは東アジア史であることが多かった。今日では、東洋・西洋という粗すぎる区分方法は、学術的にはその役割を終えている。
[編集] 類似の語・用法
オリエント(形容詞はオリエンタル)も「東洋」と訳されることがある。ただしこの語は、欧米では、中近東を指すことが少なくない。歴史用語としては、古代ローマから見て東方にあった、イスラム化される前の中近東(北東アフリカを含む)地域を指す。
英語の「Eastern world」は、冷戦時代の東側陣営を指すこともある。ただし、「西洋」と「西側陣営」がしばしば連続した概念と考えられているのに対し、「東洋」と「東側陣営」は別物と考えられることが多い。
昔の中国では、「東洋」で日本を指すことがあった。