西洋
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世界を大まかに両分して東洋・西洋とよぶ方法は、19世紀後半に日本でおこり、中等教育での歴史教育で促進されたもの。1894年に文部省から「東洋史」として新設教科の教授要領が発表され翌年に教科書が発行された。この意味での西洋(せいよう)とは、主にヨーロッパやアメリカなど、ヨーロッパ文化圏の世界を指す明治期の富国強兵時代の日本から見た概念である。この時の日本とは、西洋に追いつけ追い越せのその後の大東亜共栄圏につながる西洋と対比した日本中心の東洋史観がその根底にあることを理解されたし。
上記の意味での東洋・西洋の概念が定着したことを受けて、その後、学術用語としてオリエント (Orient)の対義語であるオクシデント (Occident)の訳語として西洋があてられるようにもなった。こちらの用法は狭義の用法であることに注意。
現代では、東洋・西洋の意味は歴史的な観点で用いられることが多く、現代用語としてはその役割を終えている。
また、オクシデントの訳語としてはの西洋では以下の定義が使用される。元来、西洋に対する説明ではなく、オクシデントの説明であることに留意のこと。西洋(オクシデント)の住民はコーカソイド。中にはマジャール人や、フィンランド・エストニア人など、もともとアジア系の民族(人種的には、ほぼコーカソイド)であった住民もいるし、バスク人のように系統不明の住民もいる。
現代は多極化世界であり、東洋・西洋二元論に囚われると中央アジア、南北アメリカ、アフリカ、オセアニアなどの視点を失いがちであるが、日本の近現代史を鑑みれば、東洋・西洋二元論の古い考えから抜け出せないでいる日本人も多い。