松平家治
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松平 家治(まつだいら いえはる、天正7年(1579年) - 天正20年3月4日(1592年4月15日)は、奥平信昌の息子。母は亀姫。徳川家康の孫。従五位。幼名は亀松。兄に奥平家昌、弟に奥平忠政、松平忠明がいる。
天正7年(1579年)、三河国長篠城において、奥平信昌と家康の長女・亀姫の間に次男として生まれた。その後、天正16年(1588年)に家康の養子となる。元服の際に家康から「家」の字と、松平の姓を与えられた。
三河軍団の関東移封後に、上野国に7千石を賜った。
天正20年(1592年)、14歳で死去したが、「駿府城において」とされている。家康の関東移封後における不幸だが、西方への移動中の出来事なのかは判然としない。父兄らの封地である上野国甘羅郡宮崎において菩提寺・桃林寺が建立された。法名は桃林院桃谿宗朔大禅定門。
死後は、生家・奥平家から末弟・鶴松丸が改めて、外祖父・家康の養子に望まれることに成ったため、家治の7千石は没収とは成らなかった。遺臣も鶴松丸に仕える事となった。