奥平忠政
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奥平 忠政(おくだいら ただまさ、1580年(天正8年)-1614年8月7日(慶長19年7月2日))は、美濃加納藩の第2代藩主。初代藩主・奥平信昌を父に、徳川家康の長女・亀姫を母に3男として生まれる。幼名、千松丸。奥平家昌を兄に、松平忠明を弟にもつ。正室は里見義頼の娘。官位は従四位下、侍従、飛騨守、摂津守。
母が家康の娘であったため、松平姓を許されて松平忠政とも呼ばれている。三河生まれで慶長2年(1597年)、菅沼定利の養子となった。しかし定利が死去すると、養子縁組を解消され、慶長7年(1602年)の父の隠居により、後を継いで美濃加納藩の藩主となった。しかし生来からの病弱であったため、父が実権を握って藩政を担った。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣直前である7月2日、父に先立って死去した。享年35。後を子の奥平忠隆が継いだ。法号は雄山宝永光国院。
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