松平頼寛
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松平頼寛(まつだいら よりひろ、元禄16年(1703年) - 宝暦13年10月28日(1763年12月2日))は、江戸時代の大名。陸奥守山藩の第2代藩主。水戸支流頼元系松平家3代。守山藩2代藩主・松平頼貞の三男。母は側室松本氏。従四位下、大学頭、侍従。
正室は尾張支流松平義孝の娘。子は松平頼羆(長男)、松平頼篤(次男)、松平頼亮(三男)、 松平頼融(四男)、松平頼溥(五男)、娘(尾張支流松平義敏の正室)。従四位下、大学頭。
嫡子だった兄・松平頼尚が廃嫡されたため、代わって嫡子となった。元文3年(1738年)、父の隠居に伴い家督を相続。宝暦13年(1763年)に死去。嫡子・頼篤が夭折していたため、三男・頼亮が後を継いだ。
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