松平頼常
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松平 頼常(まつだいら よりつね)は、江戸時代前期の讃岐高松藩主。
承応元年(1652年)11月21日生まれ。父徳川光圀が兄・頼重を差し置いて水戸藩主となったことを遺恨とし、兄の子を水戸藩主として、自身の子・頼常を高松藩主の養子とする。そして延宝元年(1673年)2月19日、先代藩主で養父の頼重の隠居により、高松藩主となった。法号:源節公。墓所:香川県さぬき市の霊芝寺。
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生誕 | 承応元年11月21日(1652年12月21日) | |||
死没 | 宝永元年4月3日(1704年5月6日) | |||
別名 | 幼名:鶴松、鶴千代 | |||
藩 | 高松藩 | |||
氏族 | 水戸徳川連枝 | |||
父母 | 父:徳川光圀、母:玉井氏、 養父:松平頼重 |
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妻 | 正室:酒井忠清娘、側室:岡見氏 | |||
子 | 松平頼泰、養子:松平頼豊 |
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦
- 1664年(寛文4年) 将軍家初見。12月28日、讃岐国高松藩主の後継者となり、兵部と称する。
- 1665年(寛文5年)12月27日、従四位下に叙し、侍従に任官。右京大夫を兼任。
- 1673年(延宝元年)2月19日、松平家家督相続し、藩主となる。同日、讃岐守に遷任。侍従如元。
- 1683年(天和3年)12月25日、従四位上に昇叙し、左近衛権少将に転任。讃岐守如元。
- 1704年(宝永元年)2月11日、隠居。3月4日、新五郎と称する。4月3日、卒去(享年53)
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