橋口弘次郎
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橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は日本の調教師で、日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属。宮崎県出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。
[編集] 来歴
公営佐賀競馬で瀬戸山重春厩舎所属の騎手としてデビュー。 騎手引退後は、調教助手として栗東・吉永猛厩舎へ移ったのち、松井麻之助厩舎を経て、調教師試験に合格した。
免許取得は1980年3月1日であるが、厩舎を開業したのは丸2年後の1982年3月1日。初出走(同時に初勝利)は同年3月13日の阪神競馬第2競走のハクサンレンポーであった。GI勝ちは多いが、それ以上にGIでの2着が多いことで知られる。管理馬には、ダイタクリーヴァやローズバドのように惜しくもGI制覇に届かなかった馬もいれば、ツルマルボーイやハーツクライのように幾度もの善戦の末にGI制覇を果たした馬もいる。
東京優駿(日本ダービー)に人一倍執着を持っており、「私の一年はダービーに始まり、ダービーで終わる」と語ったこともある。その考え方を表すように、1999年から2006年まで、8年連続でダービーに管理馬を出走させている。1996年にダンスインザダークで、2004年にハーツクライで2着に入っているが、まだダービー制覇の夢は実現できていない。
2006年のドバイミーティングでは、GIIのゴドルフィンマイル(ユートピア)とGIのドバイシーマクラシック(ハーツクライ)に勝利した。日本人調教師として、ゴドルフィンマイルの優勝はドバイダート競走の初制覇、ドバイシーマクラシックの優勝はドバイGIの初制覇であり、またドバイミーティング2勝も初のことであった。
これと決めた調教方針に固執せず、常に試行錯誤を続けながら馬を育てている。実績を挙げた調教師は若手であってもすぐに評価し、その調教方針から範を取って、自らの調教に取り入れることもある。そのため、レース週の追い切りなどにはしばしば変化が見られる。栗東トレーニングセンターに坂路コースが完成した際、いち早く調教メニューに組み入れた調教師の一人でもある。
また、熱烈な読売ジャイアンツファンで知られ、2006年5月4日の阪神甲子園球場で行われた、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のラジオ日本ジャイアンツナイターにゲスト出演した。
[編集] 管理競走馬
括弧内はGI(斜字は統一GI、太字は海外GI)の勝ち鞍
- レッツゴーターキン(1992年天皇賞(秋))
- ダンスインザダーク(1996年菊花賞)
- ユートピア(2002年全日本2歳優駿、2003年ダービーグランプリ、2004年・2005年マイルチャンピオンシップ南部杯)
- ザッツザプレンティ(2003年菊花賞)
- ツルマルボーイ(2004年安田記念)
- ハーツクライ(2005年有馬記念、2006年ドバイシーマクラシック)
- ロジック(2006年NHKマイルカップ)