武田信貞
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武田 信貞
- 武田信玄の五男・仁科盛信の次男は、下記を参照。
- 武田信玄の六男は、葛山信貞を参照。
- 川窪信雄の長男。武田信虎の玄孫に当たる。旗本。当初の姓は川窪だったが、34歳の時に武田に復姓した。(1631年 - 1711年)
- 武田信虎の八男・一条信龍の次男。(1560年 - 1582年)
武田 信貞(たけだ のぶさだ、生没年不詳)は、武田信玄の五男である仁科盛信の次男。 通称は源兵街。
甲斐武田氏滅亡の際に兄とは別行動で祖母方の油川氏の元に逃れ、油川氏を称した。後に徳川家康に謁見した時にも、仁科姓を隠したままであった。
関ヶ原の合戦では東軍に従う。子孫の代になって仁科一族であることを公称し、武田姓に復したという。子孫が、仁科盛信次男の家系を名乗る事を願い出て、それを許され武田姓となる。