毛利秀頼
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毛利秀頼(もうりひでより、天文10年(1541年) - 文禄2年閏9月17日(1593年11月9日))は斯波義統の次男。兄に斯波義銀、弟に津川義冬、蜂屋謙入がいる。
父・義統の死後から織田信長の重臣として仕えるようになる。桶狭間の戦い、石山本願寺との戦いで戦功を挙げ、信長から南信濃の高遠城を与えられ、大名として取り立てられた。
1582年、信長が死ぬと武田氏の旧臣などによる反乱の恐れから所領を捨てて尾張に逃亡し、以後は羽柴秀吉の家臣として仕える。そして小牧・長久手の戦い、九州征伐、小田原征伐などに参陣して軍功を挙げたため、再び南信濃の飯田に所領を与えられ、大名として返り咲いたと言う。