池間島
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池間島 | |
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座標 | 北緯24度55分 東経125度15分 |
面積 | 2.8km² |
海岸線長 | 12km |
最高標高 | 28m |
所在海域 | 東シナ海 |
所属国・地域 | 日本(沖縄県) |
池間島(いけまじま)は、沖縄県宮古島市平良池間に位置し、宮古島の北西1.5km、太平洋と東シナ海との間に浮かぶ島。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 人口・産業等
- 半農半漁の島で、2002年(平成14年)1月現在で383世帯、801人が居住。明治時代には人口が2,200人を数えたこともあった。
- 1992年2月、宮古島北端の世渡崎とを結ぶ池間大橋(全長1,425m)が完成し、宮古島からの新たな観光ルートとなったことにより、近年では観光も主要産業となっている。
- かつては遠洋漁業が盛んで、鰹漁と鰹節生産で有名であったが、昭和50年代に排他的経済水域が設定されたこと等により、遠洋漁業は廃れてしまった。
- 北岸に1940年(昭和15年)初点灯の池間島灯台がある。海抜41m、光達18海里。
[編集] 地勢・生物等
- かつては二つの島であり、島と島の間には南北に細長い海峡が走っていた。16世紀の初め頃、その北側のイーヌ・ブー(北の入り江)と呼ばれる場所に狩俣の豪族、「四島の主」が石橋を架け二つの島を行き来できるようにした。それより程なくして堆積した砂によって石橋は埋もれてしまい、二つの島はつながって池間島になり、イーヌ・ブーの南側のかつての海峡は南北に細長い入り江となった。1934年(昭和9年)に、干拓のために入り江の入口(現在の池間小学校・池間中学校のある場所)に防潮護岸が造成され、入り江は汽水の沼地となり、「ユニムイ」湿原と呼ばれるようになった。さらに、1963年(昭和38年)から1982年(昭和57年)にかけての漁港工事によって外海との水路が完全に遮断され、「ユニムイ」湿原は淡水化した。[1][2]現在では池間湿原とも呼ばれるこの湿原には、キシノウエトカゲなどの稀少な生物が棲息している他、渡り鳥の飛来地としても重要である。
- 島全体が沖縄県指定の池間鳥獣保護区に指定されている。
- 南方には宮古島北西端の西平安名岬が望まれる。
- 島周辺には「ビジ」と呼ばれる干瀬が散在し、特に北東約15kmには、「八重干瀬」と呼ばれる巨大な干瀬がある。ダイビングスポットとしても有名。
[編集] 風習
- 特異な風習が近年まで残されていたため、民俗学上も注目されている。
- 琉球王国時代(16世紀頃から)の御嶽信仰の風習を今でも色濃く残していることで有名である。大主神社(ウハルズ御嶽)には、池間島民より選出された五人の司(祭祀儀礼を行う女性)を中心とした祭祀集団が形成されている。
- 元(ムトゥ)と呼ばれる氏神をまつる場所が四箇所(真謝元・マイヌヤー元・上げ升元・前里元)があり、「ミャークヅツ」という祭りを毎年、旧暦の九月に三日間執り行う。元(ムトゥ)には、男性の祭祀集団が形成されており、祖父から父・父から子の順に祭祀集団が形成されてきた。なお、各ムトゥへの入会が認められてムトゥ・ヌ・ウヤになれるのは数え55歳からである。
[編集] 公共施設
- 宮古島市立池間小学校
- 宮古島市立池間中学校
- 池間郵便局
[編集] 交通
[編集] 関連記事
[編集] 外部リンク
- 沖縄離島ドットコム 池間島
- 池間島 水浜広場 リンクサイト
- 池間島と灯台 探訪記と画像。
- イーヌ、ブー(北の入り江) 「ユニムイ」をめぐる回顧録。
- 宮古島、池間島、八重干瀬のダイビングスポットマップ
[編集] 脚注
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