沖原隆宗
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沖原隆宗(おきはらたかむね、1951年7月11日 - )は、三菱東京UFJ銀行副頭取。
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[編集] 人物
旧UFJ銀行時代、取締役付きでないにも関わらず、常務執行役員からいきなり頭取に就任するという異例の昇進をした。沖原が前頭取だった寺西正司の後を受けて2004年5月にUFJ銀行の頭取に就任したときには、すでにUFJ銀行の体力はBIS規格における自己資本比率が国際業務を行うのに必要とされる8%を割れるか割れないかの瀬戸際に追い込まれていた。
[編集] 頭取就任後
沖原は「(2005年3月期の)上期中に大口融資先の対応について布石を打つ。」「十指に満たない融資先の債権の処理を念頭に置いている」「UFJ銀行の問題は一言で言えば大口融資先の問題に尽きる。」などとのべ不良債権の処理を断行を示唆した。
しかし、UFJグループの持ち株会社だったUFJホールディングスの傘下だったUFJ信託銀行を住友信託銀行に対し3000億円で売却することを発表することで繰り延べ税資産を自己資本に組み入れが監査法人に認められて2004年3月期の自己資本比率割れを何とか繕っている形であり上記の発言を実施するのは体力的に難しい問題を抱えていた。特に問題になった債権はダイエー、双日で貸付の規模は1兆円を上回っていた。
2004年7月にはいって住友信託銀行はUFJ信託との合併の前倒しを発表した。 しかし、7月14日未明に三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスの経営統合が日本経済新聞によって報じられた。それにともなって住友信託へのUFJ信託の売却は白紙撤回されることになった。この件で住信側が「信義則違反である」として法廷で争ったが1審こそ統合差し止めの仮処分を認められたが2審、3審では差し止めが認められず三菱東京とUFJの統合の方向で事が進んでいくことになった。現在はこの件では住信は三菱UFJグループの間で賠償を求めて訴訟中である。
様相が混迷する中、7月30日には当時の三井住友フィナンシャルグループ社長の西川善文もUFJに対して経営統合を申し入れ経営統合の争奪が三菱東京と三井住友の間で過熱の様相を呈した。三菱東京との統合を決めることになったがこれはUFJグループが単独での独立が難しい状況も表すことになり沖原やUFJホールディングス社長の玉越良介ら経営陣は当事者能力をほとんど失っていることも改めて示すことになった。ただし、三井住友が統合を申し入れた結果、当初は一方的な救済合併の見方が多かったが統合後の役員人事や株式の統合比率で少なからず有利にはなったと推測される。「三井住友はTOBを仕掛けるのでは」という説が流れるなか三菱は持ち株会社のUFJHDではなくUFJ銀行を対象に7000億円の増資を引き受けると同時にUFJの経営陣に不良債権の処理を促した。
[編集] 不良債権処理
UFJグループのなかでもっとも問題とされたのはダイエー向けの債権だった。 当時のダイエーは中内功の会長退任後、高木邦夫の指揮下で資産の売却や売り場の改善を進めていたがその売り上げは低迷凋落の一途をたどっていた。高木は2002年3月に決まった再建計画の途中(期限は2005年2月)でメインバンクサイドの意向で産業再生機構に送られてしまうことに難色を示した。また経済産業省もこれを支持していた。しかしダイエーの決算の前提に金融機関の支援の不可欠とする監査法人の見解を受けて高木が翻意して再生機構へ送られることが決定した。
このように2005年3月期のUFJは経営に混迷を極めるなか沖原らUFJグループの経営陣のの手腕が発揮されることはほとんどないまま経営統合に至ることになった。
[編集] 略歴
- 1974年3月 慶応義塾大学経済学部卒業
- 1974年4月 三和銀行入行
- 2001年3月 三和銀行執行役員
- 2002年1月 UFJ銀行執行役員
- 2003年5月 UFJ銀行常務執行役員
- 2004年6月 UFJ銀行取締役頭取
- 2005年10月 三菱UFJフィナンシャル・グループ常務執行役員(現職)
- 2006年1月 三菱東京UFJ銀行副頭取(現職)