津軽信堅
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時代 | 安土桃山時代 | |||
生誕 | 不詳 | |||
死没 | 慶長2年(1597年)か | |||
氏族 | 津軽氏 | |||
父母 | 津軽為信 | |||
兄弟 | 信建、信堅、信枚、 富(津軽建広室)、大道寺直秀 |
津軽 信堅(つがる のぶかた)は、津軽弘前藩初代の津軽為信の次男。
[編集] 略伝
早世した、とされており、事跡はほとんど伝わらない。兄の生年が天正2年(1574年)とされているから、それ以降の生誕か。
慶長元年(1596年)、弟信枚と共にキリシタンに改宗している。翌、慶長2年(1597年)に死亡、とされている場合もある。
浅草にある曹洞宗萬隆寺は、元は湯島の津軽家屋敷付近にあり、江戸における津軽家の菩提寺であったとされる。開基が津軽信堅とされているが、詳細は不明である。
[編集] 関連項目
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