津軽氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
津軽氏(つがるし)は、16世紀末から廃藩置県の頃まで、現在の青森県のうち津軽と外ヶ浜を支配した大名。
本姓はかつて清和源氏を称していたが、途中で藤原氏に変えている。
津軽家の系図では、清和源氏の一流で河内源氏の傍系 甲斐源氏の流れを汲む南部氏の庶家 大浦氏を祖とするとしている。しかし、主家である南部氏との対立から独立、主家との因縁もあって源氏の家系を捨て近衛家の傍流を自称した。そのことを取り繕うため、津軽氏はしばしば近衛家に莫大な贈り物をしたうえで、同家の当主に対し、津軽家の系図への加筆を求めている。
津軽の領主としてのはじまりは、南部氏の家臣であった大浦為信が1571年に独立して津軽と外ヶ浜を強奪したこととされる。そして津軽と外ヶ浜を占領した為信はその後豊臣秀吉から所領を安堵され、近世大名としての地位を確立した。この頃、「大浦」より「津軽」に改姓した。徳川家康の時代に入ってから為信は家康に属して関ケ原の戦いに参陣し、津軽氏は江戸時代も大名として生き抜いた。
しかし、このような経緯から南部氏と犬猿の仲にあり、1821年には南部氏の浪人・相馬大作が津軽藩主の暗殺を謀るなどという事件も起こっている。
なお、2代信牧には将軍家から満天姫が嫁ぎ、14代義孝の娘華子は皇室に嫁いでいる。
目次 |
[編集] 【津軽氏一族】
[編集] 津軽氏当主
┃ 則信 ┃ 元信 ┃ 光信 ┃ 盛信 ┃ 政信 ┣━━━━━┓ 為則 守信 │ ┃ 為信1 為信 ┣━━━━━┳━━━━━┓ 信牧2 信建 信堅 ┣━━━━━┓ 信義3 信英 ┃ ┣━━━━━┓ 信政4 信敏 信純 ┃ ┃ 信寿5 政兕 ┃ ┃ 信著6 寿世 ┃ ┃ 信寧7 著高 ┃ ┃ 信明8 ┌─ 寧親 │ │ ┃ 寧親9←┘ 典暁 ┃ │ 信順10 親足 │ ┣━━━━━┓ 順承11←──順徳 承保 │ │ 承昭12 承叙