火曜会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
火曜会(かようかい)
- 戦前の貴族院における院内会派。公爵及び侯爵議員の親睦を目的として結成され、徳川家達・近衛文麿・徳川圀順・徳川家正の計4名の貴族院議長を輩出した。
1927年11月12日に研究会の統制主義的な運営に不満を抱いた近衛文麿ら6人の公爵・侯爵が離脱、11月29日に無所属の徳川家達・細川護立・木戸幸一らを加えて計21人の公爵・侯爵による親睦団体として結成される。翌1928年3月14日に更に5人の侯爵を加えて院内交渉団体(25名以上)としての資格を得た。研究会に対する反省から「是々非々」「政見不拘束」「一人一党」を掲げたが、旧武家と公家の最高位の名門である徳川家・近衛家の両当主を擁していた為に結束力が固く、最大で46議席(全ての公爵・侯爵の8割に相当)を得て第3会派となった。その一方で公爵・侯爵以外の議員の加入を認めなかったためにそれ以外の議員からは反感をかったという。
田中義一内閣批判や1920年代後半から30年代にかけて論じられた貴族院改革の提唱などで活躍したが、1947年5月2日の日本国憲法公布に伴う貴族院の廃止で解散された。 - かつて存在した自由民主党の派閥(石橋派、後に石田派)。
自民党創成期に石橋湛山を中心に石田博英・大久保留次郎・島村一郎・宇都宮徳馬ら約20名で結成、最初の自由民主党総裁公選で石橋当選の原動力となる。だが、その石橋は2ヶ月で病気辞任してしまうと、総裁候補が不在で人数的にも資金的にも劣ったために急速に弱体化、間もなく解散した。
その後、無派閥となっていた石田、宇都宮ら旧石橋派のメンバーは、1969年の総選挙の際に、石田派(二日会)を旗揚げするが、大派閥の前には新人獲得も思わしく進められず、1971年に石田、宇都宮、地崎宇三郎、山口敏夫の4人は政策懇談会(三木派)に合流した。 - 地方民間放送共同制作協議会の通称。
- 旧三菱銀行及びその親密関係にある地方銀行で構成する親睦会の名称。
- 1981年に臨床歯科医によって設立された日本における全国規模の研修団体。
このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの言葉や名前が二つ以上の意味や物に用いられている場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。