徳川将軍家
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徳川将軍家(德川將軍家、とくがわしょうぐんけ)は、徳川宗家(德川宗家、とくがわそうけ、徳川氏の宗家)であり、江戸幕府の征夷大将軍家。
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[編集] 概要
江戸時代264年にわたって、日本の実質上の君主・支配者として武家社会を含む日本社会全体の頂点に君臨した。多くの側室を大奥に抱えていたが、宗家はたびたび血筋がとだえ、近親の分家や御三家、御三卿から養子を迎えることが少なくなかった。
明治維新後、十五代当主慶喜は謹慎を命ぜられ、家達が養子に立てられた。家達は新政府により駿河・遠江・三河に70万石を改めて与えられて駿府に移住し、駿府の町を静岡と改名して静岡藩を立てた。廃藩置県を経て東京に再移住、華族に列し、公爵を授けられて徳川公爵家となった。家達は長らく貴族院議長を務め、嫡子の十七代家正は戦後、最後の貴族院議長を務めた。
2003年、十八代当主恒孝は、宗家の貴重な遺産を管理するため、財団法人徳川記念財団を設立した。
[編集] 歴代当主と後嗣たち
- 初代(将軍)家康
- 二代(将軍)秀忠
- 三代(将軍)家光
- 四代(将軍)家綱 (実子なし)
- 五代(将軍)綱吉 (館林徳川家から養子)
- 徳川徳松(夭折)
- 六代(将軍)家宣 (甲府徳川家から養子)
- 家継(七代)
- 七代(将軍)家継 (実子なし、秀忠の血筋がとだえる)
- 八代(将軍)吉宗 (紀伊徳川家から養子)
- 九代(将軍)家重
- 十代(将軍)家治
- 家基(夭折)
- 十一代(将軍)家斉 (一橋徳川家から養子)
- 家慶(十二代)
- 斉順(紀伊徳川家へ養子)- 家茂(十四代将軍)
- 十二代(将軍)家慶
- 家定(十三代)
- 十三代(将軍)家定 (実子なし)
- 十四代(将軍)家茂 (紀伊徳川家から養子、実子なし)
- 十五代(将軍・公爵)慶喜 (水戸徳川家→一橋徳川家から養子、大政奉還)