熊谷信直
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熊谷 信直(くまがい のぶなお、1507年(永正4年) - 1593年(文禄2年)5月26日)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。安芸武田氏家臣である熊谷元直の子。妻は武田氏の娘。
弟に熊谷直続、子に高直・直清・広真・三須隆経・就真らがいる。娘は吉川元春・天野元明や山内隆通・香川広景に嫁いでいる。
元々は安芸国の国人領主であり、安芸の守護を務めていた安芸武田氏に仕えている。父の元直は武田元繁に従い毛利元就と戦い、有田中井手の戦いで討死している。1533年に武田氏と所領の問題と武田光和夫人であった妹への不遇により対立、武田氏を離れて毛利氏の家臣となる。
信直は武勇に優れた勇将であり、毛利氏に重用されたが、子煩悩で家族を大事にした信直にとって、一つだけ大きな悩みがあった。それは彼の娘が凄まじく顔が醜かったということである。このため、娘の嫁ぎ先が見つからなかったのである。しかし1547年、毛利元就の次男・吉川元春がその娘を娶りたいと申し込んできた。勿論、信直は政略的な目的があってのことと理解していたが、子煩悩な信直としては願ってもないことだったので、それを承諾した。 ただ、武田光和に嫁いだ熊谷信直の妹は美人ということであり、本当に不細工だったかは不明である。これに似たような話は「諸葛孔明の嫁選び」がある。
この娘より生まれた子が元長・元氏・広家である。元々は政略結婚とはいえ、元春はこの妻を深く愛し、他に側室を持つことは無かった。親としてはいうことは無かったであろう。
以後は一門同様の扱いを受け、吉川元春と共に毛利氏の勇将として常に先鋒を務め、1万6000石の所領を与えられた。平安時代末期に平氏との戦いで活躍した熊谷直実の子孫(正確には別家)に当たる人物である。
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