熊谷氏
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熊谷氏(くまがいし)は、桓武平氏・平直方の後裔を称し、平直貞が武蔵国熊谷郷(くまがやごう、現在の埼玉県熊谷市)を所領としたことにより「熊谷」を称したことより始まる。鎌倉幕府執権の北条氏と同族である(桓武平氏北条氏族)。
別説では、熊谷氏は宣化天皇を祖とする丹治姓・私市氏の後裔とも言われている。私市直季の時に熊谷氏を名乗り、その子孫熊谷直孝の後継として平氏の一門である平直貞を養子に迎え、それ以降、熊谷氏は平姓を称するようになったと言われている。
- 熊谷直貞
- 熊谷直実
- 熊谷直家
- 熊谷直国
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[編集] 安芸熊谷氏
熊谷直貞の次男が熊谷次郎直実である。最初「石橋山の戦い」では挙兵した源頼朝を攻め、撃破したが、後に頼朝に従って平氏追討で多くの戦功を立てている。「一ノ谷の戦い」で平敦盛を討ち、勇名を馳せたことでも有名である。しかし、1192年に一族の久下直光と所領を巡り争い、それに敗れると、家督を嫡子・熊谷直家に譲って、法然の弟子となり出家した。
熊谷直家の子で、本拠の武蔵熊谷郷に住んだ熊谷直国は、1221年の「承久の乱」の際に討死し、その子熊谷直時は、安芸国三入庄(みいりのしょう、現在の広島市安佐北区可部町周辺)の地頭職を与えられ。直時の子孫が13世紀後半に三入庄に下向し、伊勢ヶ坪城を築き、そこを安芸熊谷氏の本拠地とした。(熊谷直経の頃に三入高松城を築城し、本拠を移動している。)
鎌倉時代末期から南北朝時代初期の熊谷氏は、伊勢ヶ坪城や桐原城を拠点として4つの家に別れていた。惣領家の熊谷直経は鎌倉幕府に忠勤を励んでいたが、後醍醐天皇の挙兵後は宮方に味方し活躍した。
足利尊氏が建武の新政に対して反旗を翻し、南北朝の騒乱が安芸国にも拡大してくると、1335年12月に安芸守護職の武田信武は、尊氏側に呼応して佐東銀山城で挙兵。これに熊谷惣領家も従っている。守護武田氏に属して各地を転戦した後、熊谷直経は室町幕府の権威を背景として、分割されていた所領を統合し、1365年に所領の全てを嫡男の熊谷宗直に譲った。これにより安芸熊谷氏が戦国時代に雄飛する力を蓄えられるようになるのである。
宗直は今川了俊が九州探題になると、了俊に属して九州に出陣し、1379年には代官熊谷直忍を九州に派遣して今川仲秋に従わせた。そして1381年には大内義弘から所領安堵を受け、1385年には今川了俊から所領の安堵を得るなどして、勢力の維持拡大に尽力した。
室町時代を通じて熊谷氏は武田氏の指揮下に属し、1399年の「応永の乱」にも武田氏に従い、1438年の「大和永享の乱」には、武田信栄に従って幕府方として出陣している。
1467年から始まる「応仁の乱」でも武田氏との関係から細川勝元方の東軍としての行動が確認される。
1499年、温科国親が武田元信から離反した時にも、熊谷氏当主熊谷膳直はその討伐に参加し、恩賞として温科氏の旧領を与えられている。この膳直の時代に、分家筋の新庄熊谷氏を滅ぼして、熊谷氏の勢力を拡大させている。その子である熊谷元直も武田氏に属するが1517年の「有田中井手の戦い」で武田元繁共々、熊谷元直も討死した。
その子熊谷信直は、武田光和に嫁していた妹が離縁されたこと、信直が光和の家臣の所領を横領したことから武田氏と不和になり、ついには1533年に武田軍に本拠の三入高松城を攻撃されるに至る。これを機に信直は武田氏から離反し、毛利元就に属することになった。
以後、熊谷氏は毛利氏家臣として忠節を尽くし、1547年には娘を吉川元春に嫁がせ、毛利氏と姻戚関係を結び、より忠節を尽くし、毛利氏の勢力拡大に尽力した。その結果、所領は次々と増え、国衆最高の16000石を領した。
信直嫡孫の熊谷元直は毛利氏の重臣として活躍するが、キリシタンであった為に1605年、萩城築造の遅れを理由に処刑された。元直死後は熊谷元貞が跡を継ぎ、子孫は萩藩寄組として続いた。
- 熊谷直時(安芸国に下向)
- 熊谷直高
- 熊谷直満
- 熊谷直経(三入高松城築城、本拠移動)
- 熊谷宗直
- 熊谷在直
- 熊谷信直(初代信直)
- 熊谷堅直
- 熊谷宗直
- 熊谷膳直(分家新庄熊谷氏を滅亡に追い込む)
- 熊谷元直(有田中井手の戦いで討死)
- 熊谷信直(毛利氏に属する)
- 熊谷高直(土居屋敷建設)
- 熊谷元直(キリシタンとして毛利輝元により処刑)
- 熊谷元貞
以降長州藩寄組
[編集] 陸奥熊谷氏
熊谷直実の子、熊谷直家は頼朝の奥州藤原氏征伐における戦功で、陸奥国本吉郡に所領を得て、その子の熊谷直宗は奥州に下向し、赤岩館に居を構え奥州熊谷氏の祖となった。
- 熊谷直宗
- 熊谷重鎮
- 熊谷直光
- 熊谷直時(千葉行胤を支援した際、討死)
- 熊谷直明(葛西氏に臣従)
- 熊谷直政
- 熊谷直行
- 熊谷直致
- 熊谷直宗
- 熊谷信直(陸奥国)
- 熊谷直茂
- 熊谷直定
- 熊谷直景(内紛と葛西氏との争いで討死)
- 熊谷直元
- 熊谷直脩
- 熊谷直秋(嵯峨立氏との争いで討死)
- 熊谷直益
- 熊谷直春(奥州仕置により葛西氏同様没落)
[編集] 近江熊谷氏
熊谷直貞の嫡子である熊谷直正が、近江国浅井郡塩津郷に住したことにより始まった一族である。 奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)として室町幕府に仕えた。
近江熊谷氏には今西熊谷氏という分家があるが、京都・寺町と東京・銀座に店を構える文房具老舗『鳩居堂』は 今西熊谷氏の系統だと言われている。
- 熊谷直正
[編集] 三河熊谷氏
三河国八名郡(現・愛知県新城市とその周辺。豊川の東岸)の宇利城を有した熊谷氏は、熊谷直実の末裔であるとしている。
宇利城主熊谷氏は、松平清康に城を攻められて敗れたが、支族の多くはは三河発祥の近世大名の家臣となっている。
熊谷氏の惣領家は、郷士となり土着・帰農した。