玄界島
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玄界島(げんかいじま)は、福岡県福岡市西区に所属する島。東経130度14分、北緯33度41分に位置する。福岡湾の出口、玄界灘に面している。
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[編集] 地理
面積1.14km2。周囲4.4km。形状は北西から南東に向かう短楕円形。最高地点は遠見山(218m)。
水深20mの海底から立ち上がる陸島である。糸島半島に続き、リアス式海岸である岩石海岸が発達している。糸島半島との間の海峡は幅2.6kmであり、音無瀬戸と呼ばれる。瀬戸中央部には大机島、小机島が位置する。島の北方約300mに黒瀬と呼ばれる幅200m程度の岩礁が発達している。北西約500mに柱島が位置する。
[編集] 歴史
古くは久島、次に月海島と呼ばれ、最後に現在の玄界島という呼び名に変わった。
- 1274年(文永11年) - 文永の役(元寇)において、元軍が島の西(音無瀬戸)を通過。
- 1281年(弘安4年) - 弘安の役(元寇)において、元軍が島の東を通過。
- 1645年(正保2年) - 外国船の動静を監視するための遠見番所を江戸幕府が設置。
- 1866年(慶応2年) - 福岡藩の斉田要七と堀六郎の斬首刑が執行される。
- 1882年(明治15年) - 玄界小学校開校
- 1889年(明治22年) - 志摩郡小田村の一部となる。
- 1896年(明治29年)- 糸島郡に編入される。
- 1896年(明治29年) - 北崎村に改称される。
- 1934年(昭和9年)- 島の北西部に玄界島灯台が建設される。
- 1947年(昭和22年) - 玄界中学校が開校。
- 1961年(昭和36年) - 福岡市に編入される。
- 1996年(平成8年) - 漁港から集落への荷物運搬用のモノレールが完成。
- 2005年(平成17年) - 福岡県西方沖地震により多大な被害を受ける。
[編集] 観光
1956年(昭和31年)6月1日に指定された玄海国定公園内に位置する。玄界島の動物としてカラスバトが挙げられている。訪問客は年間1万4000人。旅館が2軒ある。
[編集] 交通
島の南端に玄界島港が開き、博多港から福岡市営の定期連絡船がある。1日7便。18kmを約30分で運行する。集落内の道路はほぼすべて階段(がんぎ段)となっている。
[編集] 産業
すべての人家は島の南東斜面沿岸斜面に集中しており、約700人の島民が主に漁業に従事している。ブリなどの一本釣り、サザエ漁が盛ん。小呂島(おろのしま)、能古島(のこのしま)と並び、西区内の離島振興法指定の離島である。福岡県西方沖地震により大きな被害を受けたため、2007年(平成19年)1月現在、住民の多くは仮設住宅に居住しており、もとの集落があった斜面では宅地の造成工事が行われている。
[編集] 玄界島に関する作品
- 百合若大臣伝承 - 平安時代の武将百合若が玄界島に置き去りにされた事件。
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