玄菟郡
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玄菟郡(げんとぐん)は、前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして設置した漢四郡のひとつ。
[編集] 歴史
- 紀元前108年に楽浪郡・真番郡・臨屯郡とともに設置される。幽州に属し、戸数は4万5006、口数は22万1845人。設置当初には東沃沮・扶余・高句麗なども玄菟郡に服属していた。当初の郡治は夫租県(または沃沮県、咸鏡南道咸興市)。
- 紀元前82年に四郡のうち真番郡・臨屯郡が廃止され、その一部が楽浪郡・玄菟郡に編入された。このときに玄菟郡の郡治は高句驪県(吉林省集安市通溝郷)に移された。
- 紀元前75年に高句麗の勢いに押されて漢の支配力が後退し、玄菟郡の東部7県が遼東郡に吸収された。実質的な玄菟郡は消滅し、遼東郡内に玄菟城(遼寧省老城・興京方面)の名のみが残ることとなった。
[編集] 参考文献
- 井上秀雄『古代朝鮮』、日本放送出版協会<NHKブックス172>、1972 ISBN 4-14-001172-6
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