産女
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産女(うぶめ)は、妊婦の妖怪。憂婦女鳥とも表記する。死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「産女」になるという概念は古くから存在し、多くの地方で子供が産まれないまま妊婦が産褥で死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられている。胎児を取り出せない場合には、人形を添えて棺に入れる地方もある。
[編集] バリエーション
『百物語評判』、『奇異雑談集』、『本草綱目』、『和漢三才図絵』などに扱われ、多くは血に染まった腰巻きを纏い、子供を抱いて、連れ立って歩く人を追いかける。
長崎県では「ウンメ」と言い、 若い人が死ぬとなるとも伝えられ、宙をぶらぶらしたり消えたりする、不気味な青い光として出現する。
茨城県では、「姑獲鳥(うぶめどり)」が伝えられ、よく他人の子を攫い、育てて我が子とする。また我が子の着物と思ってその着物に乳、もしくは血を垂らして印を付けるが、それには毒があり、やがて子供は「無辜疳(むこかん)」と呼ばれる病にかかる。鬼神の類である為、人の魂魄を喰らい、七、八月の夏の夜に飛んで人を惑わすという。
別名を夜行遊女、天帝少女、乳母鳥、鬼鳥ともいう。「姑獲鳥」の名前に見える様に、人間の魂の象徴である鳥として表現されることが多いが、瑞兆としての鳥ではなく、むしろ鵺(ヌエ)と同じ凶鳥としての色彩が強い。
清浄な火や場所が、女性を忌避する傾向は全国的に見られるが、殊に妊娠に対する穢れの思想は強く、鍛冶火や竈火は妊婦を嫌う。関東では、出産時に俗に鬼子と呼ばれる産怪の一種、「ケッカイ( 血塊と書くが、結界の意とも)」 が現れると伝えられ、 出産には屏風をめぐらせ、ケッカイが縁の下に駆け込むのを防ぐ。駆け込まれると産婦の命が危ないという。
岡山県でも同様に、形は亀に似て背中に蓑毛がある「オケツ」なるものが存在し、胎内から出るとすぐやはり縁の下に駆け込もうとする。これを殺し損ねると産婦が死ぬと伝えられる。
長野県下伊那郡では、「ケッケ」という異常妊娠によって生まれる怪獣が信じられた。これは、現実問題として堕胎をある種肯定する機能を持っていたと思われるが、妊娠によって生じる穢れそのものでもあり、子を孕むということは、胎児だけではなく、その他の「モノ」を孕むことも意味し、産によって初めて人間と産土神と関連する「モノ」が分離すると考えるべきである。
佐渡島の「ウブ」は、嬰児の死んだ者や、堕ろした子を山野に捨てたものがなるとされ、大きな蜘蛛の形で赤子のように泣き、人に追いすがって命をとる。履いている草履の片方をぬいで肩越しに投げ、「お前の母はこれだ」と言えば害を逃れられるという。
また、よく知られる様に、「水子」は激しく祟るとされる。ウブも水子も、生まれなかった怨念で祟るとされるが、必ずしも生に対する執着心によってのみ化けるのではなく、出産と同時に落ちるべき「モノ」を包含したまま死ぬことを、むしろ問題にしたのではないかと思われる。産褥で死亡する妊婦もまた、出産という禊の機会を得なかった為に、渾沌を体内に包含する。従って、産女の抱く赤子は、穢れや渾沌の表象であり、これを手渡されるということは、産まれた時に分離したモノと再び融合すること、すなわち死ぬことになる。しかし、逆にこの渾沌を再び駆逐すれば、更なる知に通じる事にもなる。
波間から乳飲み児を抱えて出、「念仏を百遍唱えている間、この子を抱いていてください」と、通りかかった郷士に懇願する山形大蔵村の産女の話では、女の念仏が進むにつれて赤子は重くなったが、それでも必死に耐え抜いた武士は、以来、怪力に恵まれたと伝えられている。この話の姑獲女は波間から出てくる為、「濡女」としての側面も保持している。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、両者は異なる妖怪とされ、現在でも一般的にそう考えられてはいるが、両者はほぼ同じ存在であると言える。
怨霊となった女性は、基本的にはウブメの性質を継承しており、悲哀を感じさせるその存在は、後世、江戸の怪奇小説などに登場する怨霊たちに継承され、江戸の幻想文学に影響をあたえた。