痴人の愛
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『痴人の愛』(ちじんのあい) は谷崎潤一郎の小説。1924年3月から大阪朝日新聞に連載。6月から10月まで中絶の後、後半は「女性」に掲載。
カフェの女給から見出したナオミを育て、いずれは自分の妻にしようと思った男・河合譲治が、次第に少女にとりつかれ、破滅するまでを描く。
耽美主義の代表作。ナオミズムという言葉を生み出した。
目次 |
[編集] あらすじ
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
河合譲治は28歳になる独身の電気技師である。質素で凡庸で、何の不平も不満もなく日々の仕事を勤めていて、真面目すぎるが故に会社では「君子」といわれていたほどの模範的なサラリーマンであった。それに宇都宮生まれの田舎者で、人付き合いも悪く、その歳になるまで異性と交際した経験は一度もなかった。一応の財産もあり、醜い顔立ちでもなかった譲治がこの歳まで結婚しなかったのは、彼に結婚に対する夢があったからだ。それはまだ世の中を何も知らない年頃の娘を手元に引き取って、妻としてはずかしくないほどの教育と作法を見につけてやり、いい時期におたがいが好きあっていたら夫婦になる、という形式のものであった。
不思議な運命の巡り会わせで、彼は浅草のカフェでナオミという15歳の美少女に出会う。ナオミは混血児のような美しい容貌であったが、その頃は無口で沈んだところのある、あまり血色もよくない娘であった。実家も貧しかった。ナオミを気に入った彼は彼女を引き取り、洋館で二人暮らしを始める。
「友達のやうに」暮らそう、というのが最初の申し合わせであった為、二人はママゴト遊びのような生活を送る。寝室も別であった。稽古事をすることを約束させ、ゆくゆくはどこへ出ても恥ずかしくないレディーに仕立てたいと彼は計画していた。ところが彼の期待は次第に裏切られていった。彼が、頭も行儀も悪く、浪費家で飽きっぽいナオミの欠点を正そうとすると、ナオミは泣いたりすねたりして、結局のところは最後には彼のほうが謝ることになるのである。
そんなある日、彼が早く家に帰ってみると、玄関の前でナオミが若い男と立ち話をしているのにぶつかった。嫉妬の情にかられた彼はナオミに問いただすが否定される。しかし、ナオミが他にも何人もの男とねんごろなつきあいをしていることに気付き、本当に怒った彼はその男達との一切の付き合いを禁じ、ナオミを外出させないようにした。いったんナオミはおとなしくなったものの、また熊谷という男と密会していることが分かり、彼はとうとうナオミを追い出してしまう。
追い出してしまったものの、彼はナオミが恋しくて仕方がなくなる。無一文で出て行ったナオミを彼は心配でいてもたってもいられなくなったので、手を尽くして探してみると、ダンスホールで知り合った男性の家にとまり、豪華な服装をして遊び歩いていることを知る。これには彼もあきれ果ててしまった。
ナオミのことを忘れようとしている彼のところへ、ある日ふらっとナオミが現れた。荷物がまだ全部彼の家にあるので、それを取りに来たのだという。ナオミはそんなふうにして、ちょいちょい家にやってくるようになった。品物を取りに寄るというのが口実だが、なんとなくぐずぐずいる。日が経つにつれて、ナオミはますます美しくなってくる。あれほど欺かれていながらも、彼はナオミの肉体的な魅力には抵抗が出来ない。ナオミも自分の魅力が彼に与える力を充分に知っていて、次第に彼を虜にしてゆく。ついに彼はナオミに全面降伏をする。
会社を辞め、田舎の財産を売った金で横浜にナオミの希望通りの家を買い、二人は暮らすようになる。もう彼はナオミのすることに何も反対をしない。限りなく美しさがましてゆくナオミの肉体の、彼は奴隷に過ぎなかった。
[編集] 映画
この作品は数回映画化されている。
[編集] 1949年
スタッフ
- 監督 - 木村恵吾
- 脚本 - 木村恵吾・八田尚之
- 企画 - 清水龍之介
- 撮影 - 竹村康和
- 音楽 - 飯田三郎
- 美術 - 上里義三
キャスト
[編集] 1960年
スタッフ
- 監督・脚本 - 木村恵吾
- 製作 - 武田一義
- 企画 - 久保寺生郎
- 撮影 - 石田博
- 音楽 - 松井八郎
- 美術 - 柴田篤二
キャスト
[編集] 1967年
スタッフ
- 監督 - 増村保造
- 脚本 - 池田一朗
- 企画 - 久保寺生郎
- 撮影 - 小林節雄
- 音楽 - 山本直純
- 美術 - 間野重雄
キャスト