田村正和
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田村 正和(たむら まさかず、本名同じ。1943年8月1日 - )は、日本の俳優である。京都府京都市右京区出身。身長172cm、体重54kg。血液型A型、成城大学文芸学部卒業。新和事務所所属。
阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれる。次兄は田村俊磨、異母弟に俳優の水上保広。家族は妻と娘。
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[編集] 来歴・人物
1961年高校在学中に映画『永遠の人』で俳優デビュー。その後、多数の映画に出演。1980年頃からは主にテレビドラマを中心に出演している。時代劇『眠狂四郎』、コミカルな現代ドラマ『うちの子にかぎって…』や『パパはニュースキャスター』、そして刑事ドラマ『古畑任三郎』への主演で知られる。また、CM出演も多く、老若男女を問わず幅広い世代の人気を得ており、田村三兄弟の中でも最も知名度が高く、日本を代表する男優の一人である。
10歳で父・阪東妻三郎を失う。1960年、兄・高廣主演の映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際にスカウトされ、同映画の端役としてデビューした。その後、1961年に映画『永遠の人』で本格デビュー。松竹専属として多数の映画に出るが、ほとんどが脇役であった。体格も華奢で声もあまり通らないためか、映画では兄ほど成功しなかったが、線の細いナイーブな二枚目青年として、テレビドラマや映画に多く出演していた。70年代初頭までに出演したテレビドラマで代表的なものとしては、例えば『冬の旅(立原正秋原作・木下恵介脚本)』等がある。
70年代中頃まではテレビ時代劇『眠狂四郎(関西テレビ系列)』に代表されるようなニヒルでクールな、そして「憂愁の貴公子」とさえ呼ばれるような憂愁を帯びた役柄に限られていたが、1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帖』あたりから、軽やかで明るい役柄にも徐々に芸域を広げていった。後年、その頃を顧みて、ある新聞の取材に対して「(若様侍を演ることに関して)それまでのクールなイメージとの段差があり、かなり熟慮した」と田村本人も語っている。そして40歳を過ぎた1984年、それまでの路線を完全に覆すようなコメディドラマの主役に抜擢された。TBS系列の『うちの子にかぎって…』である。ちょっと頼りなく優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。続けて『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』など数々のコメディドラマに主演した。以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめている。
恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演し、テレビドラマ界随一の主演スターとしての地位を築き、本人もある時期から自身を「テレビ俳優」と位置づけるようになった。(他に桃井かおりも自身をそう位置づけている)
刑事古畑任三郎役では和製刑事コロンボともいえる新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となった。
舞台では専ら時代劇でニヒルなヒーローを主演し活躍している。田村正和の殺陣は妖艶な美しささえ感じさせる独特の境地を見せ、多くの時代劇ファン・正和ファンを興奮させる。若くして映画に主演した当時には、その責任の大きさを理解できず、自身の役者としての力について考えることはあまりなかったという。テレビの世界に入り、有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて初めて自分の力のなさに気づいたといい、それ以来の努力は相当なものであったと想像される。今では、撮影時には絶対にNGを出さないことで有名で、脚本も自分の台詞だけではなく相手役の台詞まで全部覚える程であり、現場には常に緊張感が漂っているという。
[編集] 独自のスタイル
- 1980年代田村正和のファッションと言えば、薄ピンク等のパステルカラーのシャツや、キャメル色のタートルネックが定番であった。シャツは第2ボタンまでは外し、袖は必ずまくり上げるスタイルで着こなした。『古畑任三郎』以降からは黒系統を着ることが多いようだ。ロングコートは冬季シーンの定番。『協奏曲』(1996年)第1話では、珍しくTシャツ&Gパン姿を披露した。
- パーマでボリュームを持たせ、襟足が長い独特の髪型は、1987年の『熱くなるまで待って!』で漫画家役を演じた以降から定着した。それまでは艶のあるサラサラヘアーだった。専属美容師を自宅に呼んでいるという。
- 最も多く見られるのは、真ん中から分けるスタイルだが、70年代後半までは7:3分けのほうが多かった。1979年の映画『日本の黒幕』あたりから襟足まで長く伸びたボリュームのある髪型が登場している。余談ながら、この作品での役名は今泉であったため、劇中で後の古畑が「今泉君」と呼ばれているミラクルを観る事ができる。その後80年代に入ると1983年の単発ドラマ『奥飛騨二重心中』で真ん中分けが登場。翌年の『松本清張・地の骨』では再び7:3分けに戻ったが85年の単発ドラマ『地底の殺意』以降は大半が真ん中分けとなっている。更に93年前後では肩近くまで伸びていた時期もあったが、同年末の連続ドラマ『カミさんの悪口』ではサッパリと整髪されていた。2000年以降は、分け目を真ん中にしながらも前髪をあまり垂らさないオールバックに近いスタイルが多く見られる。ただ、2002年の『明智小五郎対怪人二十面相』では、当時59歳の田村正和が明智の初老期と往時(回想シーンのみ)まで演じたが、その折は前髪を長く垂らして明智小五郎の若き日を強調。だが、周囲からは何の違和感もなかった、という。そして近年は、頭頂部にくっきりと白髪が目立つようになったが、それが一層の御洒落度を増している、と評判である。
- 『ニューヨーク恋物語』(1988年)と『過ぎし日のセレナーデ』(1989-1990年)ではオールバックも披露した。当時46歳だった『過ぎし日のセレナーデ』では前髪を垂らし30代を演じ、カツラと老メイクで60代を演じた。60代を演じるにあたりロバート・デ・ニーロのように頭髪を剃ってもいいとまで言った。しかし30代から演じるためその案は却下された。
- 時代劇での髪型は、月代(さかやき)のある中剃りのかつらは嫌い、総髪のかつらのみを着ける。若い頃の出演作品では中剃りのかつら姿も見られる。『拝一刀』では、『ニューヨーク恋物語』の時のような髪型にしたいと、部分かつら(エクステンション)を付けた。
- 時代劇で見せる見得や様式美重視の殺陣には、小学生の頃から習っていた日本舞踊の下地もある。
- 舞台『乾いて候』等では、時代劇の常識を覆すようなパステル調のポップな和服を身に着けた。
[編集] エピソード
- 「田村チェア」と呼ばれる、自前のデッキチェアを常にロケ現場に持参すると言われている。「田村チェア」の周囲には常に人がいなくなることなく、またそこに近付くことが許された人物もかなり限られる。
- 『夏に恋する女たち』(1983年)で芸術肌のカメラマン倉橋光男役を演じた時、記者会見で津川雅彦に「最近の田村正和はいい役者になった」と言わしめた。
- 『くれない族の反乱』(1984年)で、八木康夫プロデューサーと出会い、それ以降の三枚目コメディー路線が開拓されていった。
- 田村曰く「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」。
- 『うちの子にかぎってパート2』第2話で、横山やすし・関口宏(両者とも田村と同学年)と共演をした。特に横山やすしとは最初で最後の共演であったが、二人の絶妙なやりとりが名シーンを生んだ。また、関口とも久しぶりの共演でもあり、関口とのやり取りも絶品。
- 『ニューヨーク恋物語』(1988年)の田島雅之役をとても気に入っている。2004年のスペシャル版で、田島は両目が失明していく黄斑変性症という病気になる。難しい役どころを演じた田村は、自身の心中でようやく役にけりがついたと語っている。
- 『過ぎし日のセレナーデ』(1989-1990年)の榊隆之役も気に入っている。少年期から死去するまでが描かれる一代記である。
- インタビューは1年に1度、毎年違う媒体相手にしか受けないことにしている。
- とんねるずの石橋貴明や、モト冬樹、栗田貫一、木村拓哉、渡辺正行らにものまねされている。
[編集] 出演
[編集] テレビドラマ
- 花の生涯(1963年、NHK)
- 破れ太鼓 (1965、NHK)
- 記念樹 (1966年、TBS、木下恵介劇場)
- 源義経(1966年、NHK大河ドラマ、藤原忠衡役)
- 新吾十番勝負(1966年、TBS)
- 木下恵介・人間の歌シリーズ/冬の旅(1970年、TBS)
- 木下恵介・人間の歌シリーズ/冬の雲(1971年、TBS)
- 新・平家物語(1972年、NHK大河ドラマ、崇徳院役)
- 眠狂四郎(1972年、フジテレビ)
- 世なおし奉行(1972年、テレビ朝日)
- 運命峠(1974年、フジテレビ)
- 度胸時代(1974年、TBS)
- さくらの唄(1976年、TBS)
- 砂の器(1977年、フジテレビ)
- 鳴門秘帖(1977年、NHK金曜ドラマ)
- 若さま侍捕物帳(1978年、テレビ朝日)
- 離婚ともだち(1980年、TBS)
- 土曜ワイド劇場 映画村殺人事件 愛の邪魔ものを消せ(1980年、ABC)
- 砂の影(1980年、テレビ朝日)
- 魔界番町皿屋敷(1981年、フジテレビ)
- 松本清張の黒革の手帖(1982年、テレビ朝日)
- 髑髏検校(1982年、フジテレビ)
- 夏に恋する女たち(1983年、TBS)
- 乾いて候・時代劇スペシャル (1983年/1984年/1993年 単発、フジテレビ)
- 序の舞・新春ドラマスペシャル(1984年、テレビ朝日)
- くれない族の反乱(1984年、TBS)
- うちの子にかぎって…(1984年 第1シリーズ、1985年 第2シリーズ、1986年/1987年 特番、TBS)
- 蒸発妻・月曜ワイド劇場(1984年、テレビ朝日)
- 子供が見てるでしょ!(1985年、TBS)
- 男の家庭科(1985年、フジテレビ)
- 妻たちの危険な関係(1986年、日本テレビ)
- 女は男をどう変える(1986年、フジテレビ)
- パパはニュースキャスター(1987年、1987年/1989年/1994年 特番、TBS)
- 敵同士好き同士(1987年、日本テレビ)
- 男たちによろしく(1987年、TBS)
- 熱くなるまで待って! (1987年、フジテレビ)
- 花の図鑑(1988年、テレビ朝日)
- パパは年中苦労する(1988年、TBS)
- ニューヨーク恋物語(1988年、フジテレビ)
- 過ぎし日のセレナーデ(1989 - 1990年、フジテレビ)
- 眠狂四郎・田村正和時代劇スペシャル(1989年/1993年/1996年/1998年 単発、テレビ朝日)
- ニューヨーク恋物語II 男と女(1990年、フジテレビ)
- 勝海舟・時代劇スペシャル(1990年、日本テレビ)
- パパとなっちゃん(1991年、TBS)
- ティファニーで朝食を(1992年、TBS)
- ローマの休日(1993年、TBS)
- カミさんの悪口(1993年、TBS)
- 古畑任三郎(1994年版は『警部補 古畑任三郎』)(1994年、1995年特番、1996年、1999年、2004年特番、2006年特番、フジテレビ)
- カミさんの悪口2(1995年、TBS)
- 協奏曲(1996年、TBS)
- 総理と呼ばないで(1997年、フジテレビ)
- カミさんなんかこわくない(1998年、TBS)
- じんべえ(1998年、フジテレビ)
- 美しい人(1999年、TBS)
- オヤジぃ。(2000年、TBS)
- さよなら、小津先生(2001年、2004年特番、フジテレビ)
- 明智小五郎対怪人二十面相(2002年、TBS)
- おとうさん(2002年、TBS)
- 新ニューヨーク恋物語(2004年、フジテレビ)
- 夫婦。(2004年、TBS)
- 誰よりもママを愛す(2006年、TBS)
[編集] 映画
- 旗本愚連隊(1960年)
- 永遠の人(1961年、松竹)
- 今年の恋(1962年、松竹)
- お吟さま(1962年、松竹)
- 乞食大将(1964年、大映)
- 海抜0米(1964年、松竹)
- この空のある限り(1964年、松竹)
- われら劣等生(1965年、松竹)
- ぜったい多数(1965年、松竹)
- 俺たちの恋(1965年、松竹)
- 昨日のあいつ今日のおれ(1965年、松竹)
- 裸の青春(1965年、松竹)
- この声なき叫び(1965年、松竹)
- 空いっぱいの涙(1966年、松竹)
- かあちゃんと11人の子ども(1966年、松竹)
- 雨の中の二人(1966年、松竹)
- 天下の快男児(1966年、松竹)
- 侠勇の花道 ドス(1966年、松竹)
- 男なら振りむくな(1967年、松竹)
- 女の一生(1967年、松竹)
- 無理心中 日本の夏(1967年、松竹)
- 痴人の愛(1967年、大映)
- 東シナ海(1968年、日活)
- 初恋宣言(1968年、松竹)
- 女と味噌汁(1968年、東宝)
- 嵐に立つ(1968年、松竹)
- 怪談残酷物語(1968年)
- 秘録おんな蔵(1968年、大映)
- 荒い海(1969年、日活)
- 眠狂四郎 卍斬り(1969年、大映)
- 華麗なる闘い(1969年、東宝)
- 現代ヤクザ 与太者仁義(1969年、東映)
- 超高層のあけぼの(1969年、東映)
- 風林火山(1969年、東宝)
- 黒薔薇の館(1969年、松竹)
- やくざ絶唱(1970年、ダイニチ映配)
- おんな牢秘図(1970年、ダイニチ映配)
- おんな極悪帖(1970年、大映)
- 旅路 おふくろさんより(1971年、松竹)
- 女囚さそり 701号怨み節(1973年、東映)
- 北の宿から(1976年、松竹)
- 日本の黒幕(フィクサー)(1979年、東映)
- 阪妻 阪東妻三郎の生涯(1993年、マツダ映画社)
- 子連れ狼-その小さき手に-(1993年、松竹)
- ラストラブ(2007年6月16日公開、松竹)
[編集] 舞台
- 眠狂四郎無頼控(1973年)
- 藍より青く(1973年)
- 眠狂四郎(1973年)
- 土性っ骨(1973年)
- 口上(1975年)
- 賀茂川囃子(1975年)
- 雄呂血-無頼漢(ならずもの)-(1978年)
- 鳴門秘帖(1979年)
- 眠狂四郎~クルスの母の子守唄(1981年)
- 大阪善人(1981年)
- 濡れ髪権八(1982年)
- 大菩薩峠(1983年)
- 舞踊錦秋譜(1983年)
- 乾いて候(1987年~1993年)
- 刀化粧(1994年)
- 新・刀化粧(1995年)
- 新・刀化粧~恋・炎の如くありしか(1995年)
- 恋山彦(1997年、1998年)
- 新・恋山彦 (2001年1月、新橋演舞場)
- 新・乾いて候 そなたもおなじ野の花か(2003年、2005年)
[編集] CM
- 日本信販 - NICOS(ニコス)(樹木希林やナインティナインとの共演もあった)
- ソニー - DVDレコーダー「スゴ録。」
- 東京ガス - 「マサにガスだね」シリーズ(2005年末終了)
- NTT
- 森永乳業 - クリープ
- 大関 - ファイバーイン大関、ワンカップ大関。「大関の田村です」がキャッチコピー。(ジミー大西、小沢健二、中島みゆきとの共演で話題となった)
- EPSON - カラープリンタ
- エーザイ - 風邪薬「スカイナー」"スカイナーで早くよくなれ"
- コカ・コーラ - 缶コーヒー「エンブレム」
- トヨタ自動車 - ビスタ
- 日本国際通信(のちに日本テレコムと合併。同社の識別番号「0041」をもじった「零々四一」(肩書は「日本国際通信株式会社 営業部長」)として)
- 伊藤ハム - サマー・ウインター ギフトセット
- ソニー - プレイステーション(トロと共演。PSマークの"P"の人文字になった)
- サントリー - ダブル搾り。2人の田村正和の登場篇がある。
- 東芝 - テレビ「バズーカ」
- NTTドコモ(1999年~2002年)
- 三井不動産・野村不動産・三菱地所・東京建物共同開発マンション「ザ・豊洲タワー」(2006年)
[編集] その他テレビ
演技やCM以外でテレビやラジオに出演することは珍しい。
- 連想ゲーム (年月日不明、 NHK)
- ザ・ベストテン - ピンクレディーの応援ゲスト (1978年1月19日 ザ・ベストテン第1回目の放送、TBS)
- 花王ファミリースペシャル 「華のとき 田村正和」 (1993年、フジテレビ)
- 徹子の部屋 (1993年2月1日、テレビ朝日) - 黒柳徹子が車をぶつけてしまった事を後日談として明かしている。
- 知ってるつもり!? 「阪東妻三郎」 (1997年1月5日、日本テレビ)
- ブロードキャスター - 『明智小五郎対怪人二十面相』につきインタビュー (2002年、TBS)
- 駆けよ! バンツマ - 父の阪東妻三郎没後50年を忍び兄弟4人で対談 (2003年1月14日、NHKBS2)
- 『古畑任三郎スペシャル』直前インタビュー (2004年、フジテレビジョン ニュース番組内 )
その他、ドラマの番宣インタビューなど。
[編集] 交遊録
- 『パパとなっちゃん』で共演した浜田雅功には、さり気なく出産祝いを渡したという。木村拓哉は『協奏曲』での共演を機に田村の自宅を訪問している。
- 1993年~1996年頃『カミさんの悪口』などで久本雅美との共演が相次いだ時期、久本はバラエティ番組などで田村に関する逸話をたびたび披露していた。また、久本は田村を「殿」と呼ぶこともあり、年上の芸能人の中では最も田村を慕っているようだ。
- 『ニューヨーク恋物語』で共演した岸本加世子は当初田村を敬遠していたが、共演後はファンになっている。他の熱烈なファンに池上季実子がいる。
- 若い頃、共演者の中村晃子を同室の押入れで寝かせ、自分は広間で寝たという伝説がある。
- 脚本家鎌田敏夫、遊川和彦、三谷幸喜、プロデューサー関口静夫、八木康夫、共演者橋爪功、津川雅彦、浅野温子、篠ひろ子らと仕事上の相性がいいようだ。
- 太秦映画村の古くからスタッフからは「若」と呼ばれる。
- ビートたけしからは人間離れしたという意味で「プラモデルみたい」と表現され、西田敏行からは「年をとるのを忘れたような人」と表現されている。
- 2003年に放送された阪東妻三郎没後50年を偲ぶ番組『駆けよ! バンツマ』では、一般人の次男・俊磨も含めた田村4兄弟が勢ぞろいし、父の思い出について対談する貴重な映像が見られた。囲炉裏端の打ち解けた談笑風景であったが、三男・正和は最も寡黙で、他の兄弟のように胡坐を組むこともなく、いつものニヒルさを崩さなかった。しかし「甲高い声と冒険心は親父と似ている」とも笑顔で語っている。
- 『眠狂四郎』の作者・柴田錬三郎を、幼い日に亡くした実の父・阪妻の代父のように慕っていた。また柴田も、正和の端正な佇まいや役者としての姿勢を極めて高く評価し、『眠狂四郎(舞台版)』の主役として抜擢。続いて主演したテレビ版も絶賛していた。柴錬のエッセイによれば「田村正和は自宅で正座して台本を読んでいる」という。まさに「役者としての端正な姿勢」の一端を如実に物語るエピソードと言えよう。
[編集] プライベートのエピソード
- 全くといっていいほどプライベートを明らかにせず、撮影現場以外でも人前では常に「俳優の田村正和」としてふるまう。だがやはりストレスがたまるらしく、親しい人にこっそりと「疲れますよ」と漏らしたことがあったという。
- プライベートで、他人の前では決して食事をしないというエピソードもある(ドラマの中での食事シーンは多数ある)。
- 高校時代、女子から密かに光源氏とあだ名されていた。
- 青年時代ロックバンドを組んでおり、バンマス(バンドマスター)だった。バンド名は、夜になると元気になることから "THE BATS"。
- ロバート・デ・ニーロ作品を好み、その曲を挿入歌として使用した事がある。
- 1988年の舞台『乾いて候』のインタビューで、インタビューはとても気を使うと言い、余暇は自宅で焚き火をしていると言っている。
[編集] 古畑任三郎関連のエピソード
- 刑事ドラマには出演しないと決めていたが、『古畑任三郎』は送られてきた三谷幸喜の脚本(第1シリーズ第2話、犯人・中村右近の回)を読んで出演を決意した。
- 古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したが、芝居に優劣をつけたくないという理由で辞退していた。その後、古畑任三郎第2シーズンと『さよなら、小津先生』の小津南兵役でも同賞を受賞している。
- 『古畑任三郎番組宣伝&NG特集スペシャル』は、出演作品には珍しく、ドラマ仕立てのバラエティ番組であった。現場での撮影風景を編集したものであるが、バラエティ用のトークをしている場面もある。また、絶対にNGを出さないという田村が、唯一NGらしきものを出しているシーンも見られる。トークゲストとしてスタジオに出演したのは西村雅彦と石井正則のみであった。
- 『古畑任三郎』第1シーズンは夢中で取り組み、第2シーズンでは円熟された磨きを見せ、第3シーズンではマンネリ回避からの古畑疲れが出ていると自身でも認めている。
- 『新ニューヨーク恋物語』(2004年)撮影中、付き添っていた夫人と宿泊者専用のクラブで向かいあって座っていると、夫人が目で合図をするので振り返ると『刑事コロンボ』を演じる俳優のピーター・フォークがおり、古畑任三郎と刑事コロンボが同じ場所に存在するというミラクルも起こった。(「新ニューヨーク恋物語」サイトインタビューより)
- 古畑任三郎役はセリフも多く複雑で、相当大変だったようだ。ファンの声に押され、三谷幸喜の脚本アイデアと自身のチャレンジ精神で10年以上続けたが、2006年1月3日~5日『古畑任三郎 FINAL』が放送され、完結となった。しかし続編を望むファンの声は絶えない。三谷幸喜は「アイデアが尽きた」と語っているが古畑放送終了後に出演した「スタ☆メン」(フジテレビ)において本人「打ち上げで田村さんと相談する」とも語っていた。
- 前述のように、脚本を相手役の台詞まで完璧に覚えて本番に臨むため、相手役の緊張感は極限に達する。「しゃべりすぎた男」にゲスト出演した明石家さんまは、事前に台詞を覚えない主義のため、現場でミスを繰り返し、田村に「今度間違えたら帰りますよ」と凄まれたという。その結果、仕上がった作品は、緊張感あふれる優れた法廷劇になっており、シリーズ中傑作との評判が高い。
[編集] 外部リンク
- 田村四兄弟 田村兄弟公式サイト