白石宏
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白石 宏(しらいし ひろし、1956年5月20日 - )は、多くのトップアスリートのサポートで知られるスポーツトレーナーのパイオニア。山口県生まれ、広島県広島市育ち。
[編集] 経歴
棒高跳びの元選手でオリンピックを目指し1974年、日本体育大学に進学。先輩のマッサージをするうち、当時日本に入ってきたばかりのテーピング技術に興味を持ち勉強を始める。在学中何度か渡米しUCLAほか、アメリカのトレーナーの仕事に魅了され競技生活を終え帰国後、大学陸上部内にスチューデント・トレーナー制度を創設し本格的にトレーナー業に取り組む。卒業後はゴールドウィン、その後ナイキジャパンの企業トレーナーとして雇われ、昼間働きながら夜カイロプラクティック、あん摩、マッサージ・鍼灸の学校に通い資格を取得。また病院の解剖実習にも通った。この頃は一般的にはまだ「トレーナーって何?」と言われることが多かったが、スポーツの現場に自分から行けばニーズは多く、行けば必ず声をかけられた。
こうして徐々に知られた存在となり1984年、ロサンゼルスオリンピックで陸上の全日本オフィシャル・トレーナーに抜擢されると翌1985年、アメリカンフットボール (NFL)シカゴ・ベアーズの依頼により選手を治療、同チームの史上唯一のスーパーボウル制覇に貢献。密接に選手と関わりながらコンディショニングを進めていくアメリカナイズされたスポーツトレーナーの草分けとなった。1988年ソウルオリンピックでは柔道と水泳競技のオフィシャル・トレーナーとして同行。こののち多くのトップアスリートのパーソナルトレーナーやオリンピックのオフィシャル・トレーナーを務めた。全盛期の伊達公子や山崎一彦のパーソナルトレーナーや斉藤仁、有森裕子、鈴木大地、カールルイスなどの怪我の治療を担当し彼らのメダル獲得に貢献。その実績から「ゴッドハンド」とも称された。近年も金本知憲、清原和博、伊東浩司、朝原宣治、為末大、北島康介、鈴木絵美子らの競技生活のサポートを務めている。
[編集] 外部リンク
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