磯谷廉介
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磯谷 廉介(いそがい れんすけ、1886年9月3日 - 1967年6月6日)は、日本の陸軍軍人。太平洋戦争期に、日本占領下の香港総督を務めた。
兵庫県出身。陸軍士官学校第16期卒業。同期に板垣征四郎・土肥原賢二がいる。陸軍大学校第27期。陸軍の中では中国通を自認し中国公使館の駐在武官などを歴任した後、1936年3月23日に陸軍省軍務局長。1938年3月には関東軍参謀長に栄転するが、翌1939年にノモンハン事件の敗北の責任を取り参謀長を辞任する。
太平洋戦争が始まり、日本が香港を占領すると香港総督に就任(1942年2月20日 - 1944年12月24日、磯谷の才能を惜しんだ外務大臣東郷茂徳が首相の東条英機に再登用を勧めたからだといわれる)、皇民化政策の強制、軍票の発行などを行った。1944年に総督の地位を田中久一に譲ると台湾に赴いた。
戦後、南京の軍事法廷に戦争犯罪人として起訴され、1946年に無期懲役刑を受けた。その後、日本に帰国して1967年に死去。
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