神崎武法
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神崎 武法(かんざき たけのり、昭和18年(1943年)7月15日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)
郵政大臣(第58代)、公明党政策審議会長、新進党総務会長、新党平和代表(初代)、公明党代表(初代)を歴任。
生年月日 | 昭和18年(1943年)7月15日 |
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出生地 | 出生地:中国・天津市 本籍地:福岡県福岡市 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
学位・資格 | 弁護士 |
前職・院外役職(現在) | 弁護士 検察官 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・懲罰委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例九州ブロック |
当選回数 | 8回 |
所属党派(現在) | 公明党 |
党役職(現在) | 常任顧問 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館414号室 |
ウェブサイト | 神崎武法ホームページ |
目次 |
[編集] 概要
千葉県立千葉高等学校の先輩には俳優の宇津井健や女優の市原悦子、後輩には日本共産党の志位和夫がいる。東大在学中に司法試験に合格しており、学生時代から優秀な人物として評価されていた。検事時代の論文は今日でも刑法分野では参考文献として引用されることがある。「そうはいかんざき(神崎)」のCMで有名になったが、駄洒落好きである。検事退官直後に弁護士登録したため、現在も弁護士の資格を有している。
[編集] 略歴
- 1943年7月:中国天津市に生まれる 本籍地は福岡県福岡市
- 1983年11月:衆院選に福岡1区から出馬し初当選(連続8回)
- 1986年7月:衆参同日選後に矢野絢也委員長の下で副書記長兼国際局長に就任。
- 1990年2月:坂口力政審会長の退任に伴い政審会長に就任し11月国対委員長に就任。
- 1993年7月:衆院選で公明党52議席で復調し8月非自民非共産の細川連立政権の発足で郵政大臣に就任。
- 1994年4月:細川護煕首相の辞任で郵政大臣を退任で森本晃司国対委員長に代わって国対委員長に就任。12月公明分党で新進党結成に参加。
- 1996年8月:新進党役員改造で小沢一郎党首の下で総務会長に就任。何事にもこまめに取り組む性格であったため、小沢からは「メモばかりとる男」と言われていた。
- 1997年:新進党と公明(新進党に合流しなかった参議院議員の一部と地方議員により構成)との合流問題が白紙になり解党へ
- 1998年1月:衆院会派・新党平和を結成で代表に就任。11月衆参統一の公明党復活で党代表に就任。
- 1999年7月:小渕恵三首相より公明党への政権参加の要請があり、承諾し10月自(自)公連立内閣が発足。
- 2000年4月:小渕首相の入院=内閣総辞職し森喜朗幹事長が総理総裁に就任で自公保連立内閣が発足するも6月の衆院選で公明党は、31議席と後退した。
- 2001年4月:小泉連立内閣が発足し自由民主党を公明党が下支えする体制(中央での法案成立・選挙などの協力)が確立した。
- 2004年5月:国民年金の保険料を納付していなかったことが発覚するも、7月の参議院選挙で党が議席増を果たしたため責任問題には発展せず、10月の党全国大会で党代表に4選される。
- 2005年:第44回衆議院議員総選挙比例代表九州ブロックにて名簿一位で再選。
- 2006年9月:代表を太田昭宏に譲り、党常任顧問に就任。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 神崎武法ホームページ(公式サイト)
- 公明党福岡県議団オフィシャルサイト
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