神聖ローマ皇帝一覧
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神聖ローマ皇帝一覧(しんせいローマこうてい いちらん)は、中世から近代にヨーロッパに存在した神聖ローマ帝国の統治者を、時代順に並べた一覧である。
全ての統治者が「神聖ローマ皇帝」という称号を帯びたわけではないが、この一覧では帝国の実質的な統治者(君主)を「皇帝」と呼ぶ用法に従って、皇帝戴冠前のドイツ王(東フランク王、ローマ王)も含んでいる。また、本質的には次期皇帝候補(皇太子)であった共同皇帝や王、および皇帝選出権者である有力諸侯が分裂したことによって生じた対立王も含めた。さらに摂政となった皇妃なども補記した。
目次 |
[編集] 詳細版
[編集] 凡例
一覧の情報は、次のような順で並んでいる。
- 在位年: 帝国の統治者としての在位年。原則1人。高等学校の教科書や、コンパクトな人名事典などで、皇帝の在位年として掲載しているものである。
- 名前: 後ろに家名が付記されている場合もある。
- 生没年
- 王位: ドイツ王に即位した年。廃位・退位の記載がない場合は終身。在位中に後継者を王に選出・即位させることもあり、その場合は形式的には王が併存することになる。
- 帝位: 神聖ローマ皇帝として戴冠した年。廃位・退位の記載がない場合は終身。オットー1世は、在位中に後継者のオットー2世に戴冠をさせて「共同皇帝」としたので在位期間が重複する。
[編集] フランケン朝
フランケン朝は、フランケン(フランコニア)の大公、コンラディン家のコンラートが、東フランク王国の有力諸侯に推されてドイツ王になったことに始まるが、内外での争いが収まらず、1代限りで終わった。コンラート朝とも呼ばれる。
- 911-918: コンラート1世(?-918、王位: 911-)
[編集] ザクセン朝(オットー朝)
ザクセン朝は、ザクセンの大公、リウドルフィング家のハインリヒが、コンラート1世の指名と諸侯の選出によりドイツ王に即位することにより開いた王朝。皇帝となった2代目の名からオットー朝とも呼ばれる。
- 919-936: ハインリヒ1世(875頃-936、王位: 919-)
- 936-973: オットー1世(912-973、王位: 936-、帝位: 962-)
- 973-983: オットー2世(955-983、王位: 961-、帝位: 967-)
- 983-1002: オットー3世(980-1002、王位: 983-、帝位: 996-)
- 983-991 母のテオファーヌが摂政
- 991-994 祖母のアーデルハイトが摂政
- 1002-1024: ハインリヒ2世(973/978-1024、王位: 1002-、帝位: 1014-)
[編集] ザーリアー朝
ザーリアー朝(ザリエル朝)は、フランケンのザーリアー家出身のコンラートが、ザクセン朝の断絶後に、国王に選出されたことにより開いた王朝。フランケン朝とも呼ばれる。
- 1024-1039: コンラート2世(990頃-1039、王位: 1024-、帝位: 1027-)
- 1039-1056: ハインリヒ3世(1017-1056、王位: 1028-、帝位: 1046-)
- 1056-1106: ハインリヒ4世(1050-1106、王位: 1053-、帝位: 1084-)
- 1056-1068 母のアグネスが摂政
- ルードルフ・フォン・ラインフェルデン(対立王位: 1077-1080)
- ヘルマン(1035?-1088、対立王位: 1081-1088)
- コンラート(1074-1101、共治王位: 1087-1098廃位)
- 1106-1125: ハインリヒ5世(1086-1125、王位: 1098-、帝位: 1111-)
[編集] ザクセン朝
このザクセン朝は、オットー朝とは無関係で、国王に選出されたロタール・フォン・ズップリンブルクがザクセン大公であったことに由来する。彼の家名は記録上、ズップリンブルク家、ズップリンゲンブルク家、ズップリンゲン家の3種がある。
- 1125-1137: ロタール3世(1075-1137、王位: 1125-、帝位: 1133-) 注:ロタール2世と呼ばれることもある。
[編集] ホーエンシュタウフェン朝
ホーエンシュタウフェン朝(シュタウフェン朝)は、シュヴァーベンの大公を世襲してきたシュタウフェン家の王朝である。
- 1138-1152: コンラート3世(1093-1152、対立王位: 1127-1135、王位: 1138-)
- ハインリヒ=ベレンガル(?-1150、王位: 1147-)
- 1152-1190: フリードリヒ1世「バルバロッサ」(1122-1190、王位: 1152-、帝位: 1155-)
- 1190-1197: ハインリヒ6世(1165-1197、王位: 1169-、帝位: 1191-)
- 1198-1208: フィリップ(1176/1177/1178-1208、王位: 1198-)シュヴァーベン公
[編集] ヴェルフェン朝
ヴェルフェン朝は、シュタウフェン家と対抗したヴェルフ家の王朝である。
- 1198-1215: オットー4世(1175/1176-1218、王位: 1198-、帝位: 1209-)
[編集] ホーエンシュタウフェン朝
一時、断絶したが再興。
- 1215-1250: フリードリヒ2世(1194-1250、王位: 1196-1198 & 1215-、帝位: 1220-)
- 1250-1254: コンラート4世(1228-1254、王位: 1237-)
[編集] 大空位時代
大空位時代(1254年-1273年)は、その名とは違い空位ではなかった。ただし実権は全くなかった(よってこの節のみは、一番左の年号は「統治者としての在位年」ではなく、参考のためにつけたにすぎない)。
- 1254-1256: ヴィルヘルム・フォン・ホラント(1227or28-1256、王位: 1247or48-)
- 1257-1273:
- リチャード・プランタジネット(1209-1272、王位: 1257-)コーンウォール伯
- アルフォンソ10世(1221-1284、王位: 1257-1273)カスティーリャ王
[編集] 諸家
この節のみ、名と生没年の間に、家名を掲載。
- 1273-1291: ルドルフ1世(ハプスブルク、1218-1291、王位: 1273-)ハプスブルク伯
- 1292-1298: アドルフ(ナッサウ、1250頃-1298、王位: 1292-)
- 1298-1308: アルブレヒト1世(ハプスブルク、1255頃-1308、王位: 1298-)
- 1308-1313: ハインリヒ7世(ルクセンブルク、1275頃-1313、王位: 1308-、帝位: 1312-)枢機卿による戴冠
- 1314-1347:
- 1346-1378: カール4世(ルクセンブルク、1316-1378、王位: 1346-、帝位: 1355-)
- ギュンター・フォン・シュヴァルツブルク(対立王位: 1347-1349)
- 1378-1400: ヴェンツェル(ルクセンブルク、1361-1419、王位: 1376-1400廃位)
- 1400-1410: ループレヒト(ヴィッテルスバッハ、1352-1410、王位: 1400-)
- 1410-1437: (1410-1411は共治)
[編集] ハプスブルク朝
- 1438-1439: アルブレヒト2世(1397-1439、王位: 1438-)
- 1440-1493: フリードリヒ3世(1415-1493、王位: 1440-、帝位: 1452-)ローマで戴冠した最後の皇帝
- 1493-1519: マクシミリアン1世(1459-1519、王位: 1486-、帝位: 1508-)ローマへ行かずに皇帝になった最初の例
- 1519-1556: カール5世(1500-1558、王位: 1519-1556、帝位: 1530-1556退位)ボローニャで戴冠
- 1556-1564: フェルディナント1世(1503-1564、王位: 1531-、帝位: 1558-)
- 1564-1576: マクシミリアン2世(1527-1576、王位: 1562-、帝位: 1564-)
- 1576-1612: ルドルフ2世(1552-1612、王位: 1575-、帝位: 1576-)
- 1612-1619: マティアス(1557-1619、帝位: 1612-)
- 1619-1637: フェルディナント2世(1578-1637、帝位: 1619-)
- 1637-1657: フェルディナント3世(1608-1657、王位: 1636-、帝位: 1637-)
- フェルディナント4世(1633-1654、王位: 1653-)
- 1658-1705: レオポルト1世(1640-1705、帝位:1658-)
- 1705-1711: ヨーゼフ1世(1678-1711、王位:1690-、帝位:1705-)
- 1711-1740: カール6世(1685-1740、帝位:1711-)
[編集] ヴィッテルスバッハ朝(バイエルン朝)
- 1742-1745: カール7世(1697-1745、帝位:1742-)
[編集] ハプスブルク=ロートリンゲン朝
- 1745-1765: フランツ1世(1708-1765、帝位:1745-)
- 皇后マリア・テレジア(1717-1780、オーストリア大公位: 1740-1780)
- 1765-1790: ヨーゼフ2世(1741-1790、帝位: 1765-)
- 1790-1792: レオポルト2世(1747-1792、帝位: 1790-)
- 1792-1806: フランツ2世(1768-1835、帝位: 1792-1806退位)→1804-1835 オーストリア皇帝フランツ1世
[編集] 簡略版
以下は、皇帝として戴冠をした正真正銘の「皇帝」の一覧である。ただし、マクシミリアン1世以降、ローマ教皇による戴冠を行わないまま、「皇帝」の称号(正確には"Erwählter Römischer Kaiser"「選ばれしローマ皇帝」)を使用するようになった。この場合は、下記の一覧で"ERK"と付記した。
- オットー1世 962-973
- オットー2世 973-983
- オットー3世 996-1002
- ハインリヒ2世 1014-1024
- コンラート2世 1027-1039
- ハインリヒ3世 1046-1056
- ハインリヒ4世 1084-1105
- ハインリヒ5世 1111-1125
- ロタール3世 1133-1137 (ロタール2世と呼ばれることもある)
- フリードリヒ1世 1155-1190
- ハインリヒ6世 1191-1197
- オットー4世 1209-1215
- フリードリヒ2世 1220-1250
- ハインリヒ7世 1312-1313
- ルートヴィヒ4世 1328-1347
- カール4世 1355-1378
- ジギスムント 1433-1437
- フリードリヒ3世 1452-1493
- マクシミリアン1世 1508-1519 ERK
- カール5世 1530-1556 (1519-1530 ERK)
- フェルディナント1世 1556-1564 ERK
- マクシミリアン2世 1564-1576 ERK
- ルドルフ2世 1576-1612 ERK
- マティアス 1612-1619 ERK
- フェルディナント2世 1619-1637 ERK
- フェルディナント3世 1637-1657 ERK
- レオポルト1世 1658-1705 ERK
- ヨーゼフ1世 1705-1711 ERK
- カール6世 1711-1740 ERK
- カール7世 1742-1745 ERK
- フランツ1世 1745-1765 ERK
- ヨーゼフ2世 1765-1790 ERK
- レオポルト2世 1790-1792 ERK
- フランツ2世 1792-1806 ERK
[編集] 参考文献
- ハンス・K・シュルツェ著、五十嵐修ほか訳『西欧中世史事典II―皇帝と帝国―』(ミネルヴァ書房、2005年、ISBN 978-4-623-03930-2)
- 菊池良生著『神聖ローマ帝国』(講談社、2003年、ISBN 978-4-06-149673-6)
- 木村靖二編『ドイツ史』(山川出版社、2001年、ISBN 978-4-634-41430-3) - 特に巻末の一覧