福翁百話
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『福翁百話』(ふくおうひゃくわ)は、福澤諭吉の著書のひとつ。ひとつひとつ独立した100話から成るエッセイ集である。
『福翁百余話』(ふくおうひゃくよわ)は、福澤諭吉の著書のひとつ。正式な名称は『福翁百餘話』。ひとつひとつ独立した19話から成るエッセイ集で、『福翁百話』の続編である。
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[編集] 成立
『福翁百話』は、新聞『時事新報』紙に、1896年(明治29年)2月25日に序言が掲載され、同年3月1日から連載を開始し、1897年(明治30年)7月4日まで掲載された。さらに、同年7月20日に時事新報社から単行本が発行された。
『福翁百余話』は、新聞『時事新報』紙に、1897年(明治30年)9月1日から12月26日まで第1話から第13話が掲載され、1898年(明治31年)1月1日に第14話が掲載され、1900年(明治33年)1月1日から2月11日に第15話から第19話が掲載された。さらに、1901年(明治34年)4月に時事新報社から単行本が発行された。
また、1902年(明治35年)6月25日には、2冊を合せた『福翁百話・福翁百余話』(時事新報社)が発行された。さらに、1909年(明治42年)10月22日には、ポケット版の『ポケット福翁百話 附.福翁百余話』(時事新報社)が発行された。
[編集] 内容
以下、近代デジタルライブラリーの『福翁百話』から原文の引用を含む。
[編集] 宇宙観
第1話の「宇宙」において、次のように宇宙観を述べている。
「此
地球 は太陽 に屬 する一小土塊 たるに過ぎず又其太陽も恒星 中 の一粒 にして天に耀 く星 は粒々 皆太陽 ならざるはなし其 數 は無數 にして固より計 ふ可らず彼の銀河 の白きは即ち恒星 の重 り/\て白く見ゆるものにして並木 の松の生 ひ並 びたるを遠く眺 めて唯黒々 と見ゆるが如し」
そして、星々の数は「
「
遠 きものは其 星 より光を放て光線 の地球 に達するまでに何百萬年を費 す可しと云ふ故に恒星 の中にて既に百萬年前に本體 を失 ふて今日唯その光線 のみ吾々の眼 に映 ずるものもあらん」
と述べる。そして、この宇宙に広大な銀河から微生物に至るまで同じ法則が成り立っていることこそ不可思議であって、「
[編集] 人生観
第7話の「人間の安心」において次のように人生観を述べている。
「
宇宙 の間に我 地球 の存在 するは大海 に浮 べる芥子 の一粒 と云ふも中々 おろかなり」
そして、人間は芥子粒のような地球上で生まれ、死んでいく存在にすぎない。さらに、
「左れば
宇宙 無邊 の考を以て獨 り自から觀 ずれば日月も小なり地球 も微なり况 して人間の如き無智 無力 見る影 もなき蛆蟲 同樣 の小動物にして石火電光の瞬間 偶然 この世に呼吸 眠食 し喜怒哀樂 の一夢中忽ち消えて痕 なきのみ」
である。しかしながら、「既に
「
人生 夲來 戲 と知りながら此一場の戲を戲とせずして恰も眞面目 に勤 め貧苦 を去て富樂 に志し同類 の邪魔 せずして自から安樂 を求め五十七十の壽命 も永きものと思ふて父母 に事 へ夫婦相親しみ子孫 の計 を爲 し又戸外の公益 を謀 り生涯一點の過失 なからんことに心掛 るこそ蛆蟲 の本分なれ」
とする。この覚悟を持ってこそ「
[編集] 処世観
第13話の「事物を軽く視て始めて活溌なるを得べし」において次のように処世観を述べている。
「
人間 の心掛 けは兎角 浮世 を輕 く視 て熱心 に過 ぎざるに在り斯 く申 せば天下の人心 を冷淡 に導 き萬事 に力 を盡 す者なかる可きやに思 はるれども决 して然 らず浮世を輕 く視 るは心 の本體 なり輕く視る其浮世 を渡 るに活溌 なるは心の働 なり内心 の底 に之を輕く視るが故 に能 く决斷 して能 く活溌 なるを得べし棄 るは取 るの法 なりと云ふ學者 の宜 しく考 ふ可き所のものなり」
そして、例えば囲碁や将棋の勝負においても、是非とも勝とうとする者は却って負けると述べて、「
[編集] 特徴
『福翁百話』の特徴は、最晩年の宇宙観、人生観、処世観、宗教観などを率直に語っている所にある。序言によると、自宅に客を呼んで話した話題を書き溜めて、合計100話になったので、この機会に発表することになったのである。
[編集] 現代語訳
- 福沢武監修 『福翁百話』 日本経営合理化協会出版局、2001年。ISBN 4891010177
- 『福翁百話』から86話、『福翁百余話』から14話を選んで現代語訳したもの。
- 岩松研吉郎訳 『福翁百話―高く評価される人の行動ルール』 三笠書房、2002年。ISBN 4837919863
- 『福翁百話』から44話、『福翁百余話』から13話を選んで現代語訳したもの。
[編集] 参考文献
- 小泉仰 「解説」『福沢諭吉選集〈第11巻〉』 岩波書店、1981年。ISBN 4001006812
- 『福翁百話』と『福翁百余話』との違いに注目し、「福沢の晩年に、ほぼ正篇と続篇のような形で書かれた『百話』と『百余話』とは、実は内容的には、後者が福沢の正面像をかかげているのに対して、前者の『百話』が裏面像を主としていて、二つの著作の間同士でも、奇妙なコントラストをなしている」と指摘している。
- 第6章に「『福翁百話』における実学思想と宗教哲学」が収録されている。
- 坂本多加雄 『新しい福沢諭吉』 講談社〈講談社現代新書〉、1997年。ISBN 4061493825
- 231頁からの「むすびにかえて―「独立」の行方」に『福翁百話』が取り上げられている。
- 11頁で「或は恐る、福澤氏の主義を評して、西洋一面の事功的文明主義に小乘教の衣をかけたるに外ならずと言ふものあらんを」と批判している。
- 服部禮次郎 「解説」『福澤諭吉著作集〈第11巻〉福翁百話』 慶應義塾大学出版会、2003年。ISBN 476640887X
- 『福翁百話』と『福翁百余話』の概要と様々なバージョンについてコンパクトに解説している。
[編集] 関連事項
- 福澤諭吉
- 綱島梁川
[編集] 外部リンク
- 「福翁百話/福沢諭吉著,時事新報社,明30.7」(近代デジタルライブラリー)
- 「福翁百話・福翁百余話/福沢諭吉著,時事新報社,明35.6」(近代デジタルライブラリー)
- 「ポケット福翁百話/福沢諭吉著,時事新報社,明42.10」(近代デジタルライブラリー)
- 『梁川文集』/綱島梁川著,日高有倫堂,明38.7,収録「「福翁百話」を読む」、「福沢翁の人生二面観」(近代デジタルライブラリー)