第13旅団 (陸上自衛隊)
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第13旅団(だい13りょだん)は陸上自衛隊の旅団のひとつ。中部方面隊隷下の即応近代化旅団で、司令部は広島県安芸郡海田町の海田市駐屯地に置く。山口県、広島県、岡山県、島根県、鳥取県の防衛警備、災害派遣を任務とするほか、民生協力及び国際貢献活動を行っている。
目次 |
[編集] 来歴
昭和37年、中国5県の山口県、広島県、岡山県、島根県、鳥取県及び四国4県の香川県、愛媛県、徳島県、高知県を担任する定員7千名の乙師団として編成された。その後、昭和45年に定員9千名の甲師団に改編された。更に、善通寺第2混成団が新編されるのに伴い、同混成団に四国4県の担任を委譲し、定員7100名となる。更に、平成11年に第13師団から陸上自衛隊で初の旅団である第13旅団となった。
[編集] 旅団へ改編
旅団化に伴い、定員は7100名から4100名となったが、そもそも定員充足率が全国的に最低レベルの65パーセント程度であったため、むしろ定員充足率が大幅に向上した。旅団化に伴い、次のような改編があった。
- 第13戦車大隊(74式戦車30両)は第13戦車中隊(74式戦車16両)に改組された。
- 第13特科連隊(1200名程度)は第13特科隊(400-500名程度)に改組された。陸上自衛隊で初めての「特科隊」という編成であった。第13特科隊は、定員は大隊と同様であるが、隊長は1等陸佐(連隊長相当)で、隊本部も連隊本部と同様の幕僚構成とされている。連隊時代あった4個大隊は4個中隊(うち第4中隊は即応予備自衛官を中心とする中隊。)とされたが、大隊本部にあった幕僚機能は隊本部が有することとなって機能の凝縮が図られた。そのため、各中隊には新たに副中隊長が配置されることとなった。
- さらに平成19年度に旅団の改編が行われる予定である。内容としては特科や武器科など各部隊に満遍なく配置された即応予備自衛官を廃して現役隊員に代え、且つ1個普通科連隊(コア部隊)を旅団の編成からはずして、オール現役自衛官の定員約3700人規模になるとのことである。
[編集] 部隊の特徴
第13師団時代から、海上自衛隊呉基地と密接な関係を持ち、有事の際には、呉基地に集中配備されているおおすみ型輸送艦に乗り組んで、増援部隊として真っ先に駆けつける機動旅団としての性格付けがされている。そのため、「海兵隊的な旅団」と呼ばれることもある。
[編集] 師団等標識
第13旅団の師団等標識は、担当する中国地方を統一した毛利元就の「三本の矢の教え」の故事から、3本の矢羽根と、その左右の藍色が算用数字の13を表している。第13師団時代から変わらない。
[編集] 隷下部隊
- 第13特科隊
- 第13高射特科中隊
- 第13戦車中隊
- 第14戦車中隊
- 第13対戦車中隊
- 第13偵察隊
- 第13飛行隊
[編集] 司令部
- 詳細は司令部#陸上自衛隊の師団の司令部等の構成を参照
[編集] 高級幹部
職名 | 氏名 | 階級 | 就任日 | 出身校・期 | 前職 |
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旅団長 | 佐藤修一 | 陸将補 | 2006年3月27日 | 防衛大学校19期 | 陸上幕僚監部監察官 |
副旅団長(兼海田市駐屯地司令) | 渡邊睦夫 | 1等陸佐 | 2006年8月4日 | 東部方面総監部調査部長 |
[編集] 旅団長
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
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第13師団長(陸将) | ||||||
初代 | 加藤昌平 | 1962.1.18 - 1962.7.31 | 陸士41期・陸大50期 | 陸上幕僚監部武器課長 →1961.8.1中部方面総監部付 |
陸上幕僚監部付 →1962.9.20陸将・退職 |
陸将補 |
第2代 | 吉江誠一 | 1962.8.1 - 1964.8.13 | 陸士43期・陸大50期 | 北部方面総監部幕僚長 | 統合幕僚会議事務局長 兼統合幕僚学校長 |
就任時陸将補 1963.7.1陸将 |
第3代 | 渡邊利亥 | 1964.8.14 - 1968.3.15 | 陸士45期・陸大53期 | 東部方面総監部幕僚長 | 陸上幕僚監部付 →1968.6.30退職 |
就任時陸将補 1965.3.16陸将 |
第4代 | 古川義道 | 1968.3.16 - 1970.6.30 | 陸士48期・陸大56期 | 西部方面総監部幕僚長 | 第1師団長 | 就任時陸将補 1968.7.1陸将 |
第5代 | 和田曻治 | 1970.7.1 - 1972.6.30 | 北部方面総監部幕僚長 | 航空学校長 | 就任時陸将補 1971.1.1陸将 |
|
第6代 | 栗栖弘臣 | 1972.7.1 - 1974.6.30 | 東京帝国大 | 北部方面総監部幕僚長 | 統合幕僚会議事務局長 兼統合幕僚学校長 |
|
第7代 | 緒方二郎 | 1974.7.1 - 1976.7.1 | 西部方面総監部幕僚長 | 退職 | ||
第8代 | 鈴木敏通 | 1976.7.1 - 1977.10.19 | 陸士57期 | 陸上幕僚監部第1部長 | 陸上幕僚副長 | |
第9代 | 澤山正明 | 1977.10.20 - 1979.3.16 | 防衛研究所副所長 | 退職 | ||
第10代 | 梅野文則 | 1979.3.16 - 1980.3.16 | 北海道地区補給処長 | 富士学校長 | ||
第11代 | 柏木明 | 1980.3.17 - 1981.6.30 | 東部方面総監部幕僚長 | 富士学校長 | ||
第12代 | 落合成行 | 1981.7.1 - 1982.7.1 | 陸士59期 | 北部方面総監部幕僚長 | 退職 | |
第13代 | 松本節 | 1982.7.1 - 1983.6.30 | 陸上幕僚監部調査部長 | 防大幹事 | ||
第14代 | 土谷一郎 | 1983.7.1 - 1986.3.17 | 西部方面総監部幕僚長 | 退職 | ||
第15代 | 宮崎文男 | 1986.3.17 - 1988.3.16 | 西部方面総監部幕僚長 | 退職 | ||
第16代 | 五十君弘太郎 | 1988.3.16 - 1990.3.16 | 防大2期 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 | 退職 | |
第17代 | 江口博保 | 1990.3.16 - 1991.7.1 | 防大2期 | 需品補給処長 | 退職 | |
第18代 | 岩田貞幸 | 1991.7.1 - 1993.7.1 | 防大4期 | 防衛研究所副所長 | 退職 | |
第19代 | 木家勝 | 1993.7.1 - 1996.3.25 | 防大6期 | 幹部候補生学校長 | 退職 | |
第20代 | 寺本典也 | 1996.3.25 - 1997.7.1 | 富士学校副校長 | 退職 | ||
第21代 | 土橋健二 | 1997.7.1 - 1999.3.28 | 防大10期 | 東北方面総監部幕僚長 | 第2師団長 | |
第13旅団長(陸将補) | ||||||
初代 | 小野寺平正 | 1999.3.29 - 2001.3.26 | 防大11期 | 陸上幕僚監部調査部長 | 第3師団長 | |
第2代 | 田川睦夫 | 2001.3.27 - 2002.12.2 | 需品学校長 | 退職 | ||
第3代 | 奈良曉 | 2002.12.2 - 2004.7.31 | 防大14期 | 西部方面総監部幕僚長 | 陸上幕僚監部付 →2004.8.30退職 |
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第4代 | 内田益次郎 | 2004.8.1 - 2006.3.26 | 防大18期 | 富士学校機甲科部長 | 第4師団長 | |
第5代 | 佐藤修一 | 2006.3.27 - | 防大19期 | 陸上幕僚監部監察官 |
[編集] 外部リンク
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