細川真之
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細川 真之(ほそかわ さねゆき、天文7年(1538年) - 天正10年(1582年))は細川持隆の嫡男。
父が三好義賢によって殺害されると、その傀儡として擁立された。義賢の死後もその子・三好長治(異父弟にあたる)に傀儡として利用されたため、真之は不満を持って長宗我部氏に救援を求めて長治を討った。しかし、これを長治の実弟である十河存保が怒り、その軍勢に攻められて自害を余儀なくされた。
ところで真之の母は、小少将と呼ばれた美女であった。この小少将は、細川持隆の死後には持隆を滅ぼした三好義賢の妻となり子を成し、義賢の死後は三好氏の重臣である篠原自遁(篠原長房の弟)の妻となり、さらにその死後は長宗我部元親の側室となったという。それも政略結婚ではなく、自身の判断で世を渡り歩いた烈女であったと言われている。