細川繁氏
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時代 | 南北朝時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 延文4年・正平14年(1359年)? | |||
官位 | 伊予守、式部少丞 | |||
幕府 | 室町幕府土佐・讃岐・摂津守護 | |||
氏族 | 細川氏 | |||
父母 | 父:細川顕氏 |
細川顕氏の子として生まれる。父と共に足利尊氏に仕えて南朝勢力と戦い、武功を挙げた。文和元年・正平7年(1352年)には父と共に和泉に遠征して南朝勢力を打ち破るという武功を挙げたが(男山合戦)、その直後に父が病死したため、家督を継いで讃岐・土佐守護となった。
文和4年・正平10年(1355年)からは土佐において南朝勢力と戦っている。また、これらの間に挙げた武功を賞されて足利尊氏より摂津の守護職も与えられた。その直後の動向に関しては不明な点が多い。ただ、太平記の記述に従うのであれば、延文4年・正平14年(1359年)に繁氏は讃岐で兵力を蓄えて大規模な遠征を計画したが、軍資金を得るために崇徳院陵(崇徳天皇の墓所)を横領したため、6月に急病にかかって急死したとされている。このときの死は呪詛によるものであると太平記には記されている。
カテゴリ: 細川氏 | 南北朝時代の人物 (日本) | 守護大名 | 1359年没