細川顕氏
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細川顕氏(ほそかわ あきうじ、生年不詳 - 1352年8月15日(正平7年/文和元年7月5日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将。細川氏の一族。細川頼貞の子。細川和氏の従兄弟。細川繁氏の父。細川業氏の養父。官位は陸奥守。兵部少輔。通称は小四郎。
従兄弟の和氏と共に元弘の乱頃から足利尊氏に仕えて討幕運動で活躍した。1336年、尊氏の命で和氏と共に四国に渡海し、四国における諸大名や国人衆の統率に功を挙げた。その功績により、讃岐国や河内国、そして和泉国の守護と侍所の頭人に任じられた。その後も尊氏に従って畿内における南朝方の勢力と戦い、多くの武功を挙げたが、1350年からの観応の擾乱では足利直義側に与して尊氏と敵対した。しかし尊氏に攻められて敗北し、再び帰順している。このとき、引付頭人に任じられた。
1352年4月、尊氏軍の主将として南朝方勢力と戦い勝利を収めたが、同年7月5日に病死した。
顕氏の系統は「奥州家」とよばれる。
カテゴリ: 細川氏 | 鎌倉時代の武士 | 南北朝時代の人物 (日本) | 1352年没