結城合戦
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結城合戦(ゆうきかっせん)とは、1440年(永享12年)に関東地方で起こった室町幕府と結城氏ら関東の諸豪族との間の戦いである。
[編集] 概要
1435年に鎌倉公方の足利持氏と鎌倉公方を補佐する関東管領の対立から永享の乱の後に、6代将軍足利義教が実子を鎌倉公方として下向させようとすると、1440年(永享12年)に持氏の残党や下総国の結城氏朝・結城持朝などが永享の乱で自殺した持氏の遺児を擁立し、幕府に対して起した反乱を起こす。
幕府方は総大将上杉清方や今川範忠などの諸将や関東の国人などを討伐のために派遣して、氏朝らは結城城(茨城県結城市)に篭城して戦うが敗北し、持氏の遺児の春王丸、安王丸は義教の命を受けた長尾実景によって美濃国(岐阜県)で殺された。
戦火は鎌倉公方の支配下にあった奥州にも飛び火し、持氏の叔父でありながら永享の乱で幕府側に寝返った篠川公方足利満直が下総結城氏を支持する諸将に討たれ、また翌年には京都において結城合戦の祝勝会の名目で招かれた将軍義教が家臣の赤松満祐に暗殺された(嘉吉の乱)。
結城合戦は永享の乱の延長線上の出来事であるが、合戦の規模は永享の乱よりも大きい。結城右合戦を描いた『結城合戦絵詞』も存在する。また、南総里見八犬伝は父親と一緒に結城側で戦った里見義実が、死を決意した父親と別れて落ち延びるところから始まる。