織田信之
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織田信之(おだ のぶゆき、享保14年(1729年) - 文化4年6月10日(1807年7月15日))は、江戸時代の旗本である。高家旗本織田信栄の長男。初名は信将。通称は豊五郎、式部。
寛延2年(1749年)12月15日、将軍徳川家重に御目見する。明和4年(1767年)8月21日、父信栄の蟄居隠居により家督を相続する。明和事件の処罰として、高家旗本から普通の旗本に降格となる。寄合に所属する。天明5年、高家肝煎六角広孝・同中条信復らを通じ、高家旗本への復帰を働きかけ、天明6年(1786年)5月2日、高家旗本に復帰する。ただし、高家職に登用されることはなかった。
文化2年(1805年)11月24日隠居し、長男信味に家督を譲る。文化4年(1807年)6月10日死去、享年79。
正妻は木下利潔の娘。長男信味、三男津田紀長、次女(榊原長栄妻)ら三男五女あり。
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